「山之神社」碑。(あしあと その227・南区の64・中の沢の4)藻岩神社の社殿に続く石段の脇にある石碑のもう1つは、石段を登り切った左手にあります。14Jul2015〇南区の石碑川沿・北ノ沢・中の沢・南沢山神の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」
「猿田彦之命」碑。(あしあと その226・南区の63・中の沢の3)藻岩神社の社殿は、石段を登った小高い丘の上にあります。その石段の途中の左脇に石碑が建っているのがわかります。12Jul2015〇南区の石碑川沿・北ノ沢・中の沢・南沢信仰の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」
「紀念碑」。(あしあと その225・南区の62・中の沢の2)藻岩神社の境内に並ぶ石碑の一つ。台座の上に鎮座する、自然石でできた「紀念碑」です。碑面にはしっかりとした筆文字で、大きく「紀念碑」と刻まれています。10Jul2015〇南区の石碑川沿・北ノ沢・中の沢・南沢信仰の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」
「安斎幸作翁顕彰碑」。(あしあと その224・南区の61・中の沢の1)中ノ沢の小高い丘の麓に藻岩神社の境内が広がり、そこには多数の碑が並んでいます。09Jul2015〇南区の石碑川沿・北ノ沢・中の沢・南沢人物の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」
「大典紀念松」碑。(あしあと その223・南区の60・澄川の4)3基並んだ「開拓記念之碑」の右側に、高さ3メートルほどの松の木が植樹されており、その根元に小さな「大典紀念松」碑が建てられています。08Jul2015〇南区の石碑藻岩下・澄川・駒岡皇室の碑
「開拓記念之碑(新設大林碑)」。(あしあと その222・南区の59・澄川の3)三基並んだ「開拓記念之碑」の一番右側の碑は、「新設大林碑」です。碑面には漢文が刻まれており、「(失)里之處有新大林此地平岸村也故(失)部與之助(不明) (失)道西沿精進川與真駒内橋一流耳(失)治廿九年吉日(不明) (失)二萬九千二百餘坪是〇官衛之重(失)地以(不明) (失)用此稱以今於成地也三十九年十(失)月始(不明) (失)段二畝六歩也〇高低測量則約二百六十町(失) 川(不明) (失)其墾水陸田約二十町餘也沿内以外自北(失)(不明) (失)適地以故三十年四月需海松五萬(失)(不明) (失)且天然林有九十町既○○○二十(失)(不明) (失)專任管〇〇盡其職今也〇〇(失)(不明) (失)谷...07Jul2015〇南区の石碑藻岩下・澄川・駒岡開拓の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」
「開拓記念之碑(豊受姫神)」。(あしあと その221・南区の58・澄川の2)「開拓記念之碑」の真ん中の碑は「豊受姫神(とようけひめのかみ)」碑です。06Jul2015〇南区の石碑藻岩下・澄川・駒岡信仰の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」
「開拓記念之碑(山之神熊之神碑)」。(あしあと その220・南区の57・澄川の1)南区澄川の南端。五輪通から南側に広がるこの地域は、精進川の流れから小高い丘陵地帯となっていて、別名緑ケ丘とも呼ばれています。この丘陵の西側の下を、五輪通から水源地通に抜ける市道が走っていますが、その途中の丘陵側にこんもりとした雑木林が残されており、そこに上がる石段が取り付けられているのがわかります。05Jul2015〇南区の石碑藻岩下・澄川・駒岡開拓の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」
「供養塚」。(あしあと その218・南区の56・南沢の1)南区の南沢から、硬石山の西側を回って白川に抜ける市道があります。中ノ沢南沢通の交差点からその市道に入って約100メートルほど行った先の右手に、「供養塚」という石碑が建っているのがわかります。03Jul2015〇南区の石碑川沿・北ノ沢・中の沢・南沢慰霊の碑「碑(いしぶみ)を訪ねて」