「開拓記念之碑(山之神熊之神碑)」。

(あしあと その220・南区の57・澄川の1)

南区澄川の南端。五輪通から南側に広がるこの地域は、精進川の流れから小高い丘陵地帯となっていて、別名緑ケ丘とも呼ばれています。この丘陵の西側の下を、五輪通から水源地通に抜ける市道が走っていますが、その途中の丘陵側にこんもりとした雑木林が残されており、そこに上がる石段が取り付けられているのがわかります。

その石段の壁面に説明板があり、それには「開拓記念之碑の由来」と記されて、小高い丘の上に祀られた3つの碑について、

「右三基の碑を開拓記念之碑と称する 昭和六十二年五月十日 澄川開拓記念之碑保存会」

とされています。

石段を登っていくと途中で左に折れ、更に丘の上に続く石段の両脇に白い石灯籠が建っています。左手の石灯籠の手前には、「開拓百年 昭和55、5、5、」と刻まれた札幌軟石の標石が置かれています。

階段を登りきると、そこには木々に囲まれた狭い平坦な地が開けており、その奥に「開拓記念之碑」の3基の石碑が鎮座してます。

3基並んだ碑の両側の碑は、中ほどで折れたものをセメントでつなげており、どれもかなり古いものだということがわかります。向かって一番左側にある碑が、「山之神熊之神碑」です。

入口に掲げられた説明板には、

「山之神熊之神碑 明治四十三年建立 石工 野口岩松

山之碑は立木を伐るときに祀る神で精進川官林伐採〔明治五年〕の頃より残っていたものと考えられ澄川最古の遺物である

熊之神は開拓当時熊の出没多く畑を荒らしたのでその鎮めとして明治十八年山之神と併せて祀った」

と記されています。碑の右側面には「明治十八年」の文字が刻まれ、左側面には「明治〇十四年八月 石工野口岩松」と刻まれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

0コメント

  • 1000 / 1000