(あしあと その130・中央区の75・北海道神宮の12)
裏参道から円山公園に入って坂を緩やかに上っていくと、右手に北海道神社庁の駐車場があります。この駐車場に入った右手に養心館剣道場がありますが、その裏手に広がる広大な雑木林の一角に新旧取り混ぜて幾つかの歌碑が点在しており、その中に「白野夏雲彰徳碑」が建てられています。
碑の正面の上部には「白野夏雲」と篆刻されており、その下には
「君諱夏雲 初名耕作今泉氏 甲斐國都留郡白野村人 以文政十年生 家世業農 君夙抱有為之志 往江戸 以白野為氏 仕幕府列旗下士 慶應三年駐在蝦夷 指揮歩兵 明治元年移住静岡三年再来十勝開墾荒蕪 五年補開拓使九等出仕 任権大主典 歴任地理寮内務省 鹿児島懸農商務省 北海道廳 属或為技手 廿三年捕官幣小社札幌神社宮司 廿六年昇格中社 卅二年九月列大社宮司之功 蓋居多焉 偶罹疾 以其月八日没 享年七十有二 君天資沈毅行果 而志固 出郷來都 奔走東西 在職不荀 博覧精覈 山窮木石之理 海格魚介之物 後奉仕神社将進社格為大社其状稟請 而列中社 淹留東京懇請不止 遂得列大社▢當 勅使奉告之日 臥病欲出奉仕祭祀 衆毉不充 不出数日易簀 初叙正七位 及疾亟有 ▢旨敍従六位 僚属相謀陳其偉績 請于官 贈金以慰其勞 遠近聞訃 哀慕痛悼 以葬圓山之墓域 私謚曰 奇石凝翁命
明治三十三年九月 官幣大社札幌神社宮司 従六位 澤渡廣孝撰」
と刻まれていますが、一部の文字は時を経てかなり読みにくくなっています。
碑の側面には、「札幌神社崇敬講」と刻まれています。
白野夏雲は、明治23年に現在の北海道神宮の前身である札幌神社の宮司を務めた人物で、現在の山梨県の大月市の出身です。幕末は幕府軍の一員として上野戦争を迎えたものの運よく逃げのび、維新後の明治6年に開拓使に出仕した後、北海道においてアイヌ語の研究に没頭し、のちのアイヌ語研究の基礎となる文献を残しました。白野は札幌神社の社格を上げることに尽力しましたが、官幣神社に昇格した明治32年に病を得て、その翌年亡くなりました。この碑は、その功績を顕彰して大正6年9月1日に建立されました。
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