(あしあと その100・中央区の65・大通公園の10)
札幌テレビ塔の北側にある、平成20年にリニューアル・オープンした札幌市民ホールは、以前は札幌市民会館として長く市民に親しまれた存在でした。この建物の南側に広がる前庭に木々に囲まれた小さな碑がありますが、それが「豊平館跡」碑です。
碑面には「豊平館跡」と刻まれ、その左側に案内板が添えられています。
案内板には、
「豊平館跡
札幌の街の基礎をつくった開拓使は、中心街に多数の米国ニューイングランド風の木造建築物を建造しました。開拓使洋風木造建築の集大成といわれる豊平館は、明治13年(1880年)にこの地に官営ホテルとして建てられ、明治天皇が最初の宿泊者となりました。
開拓使廃止後も、永らく公会堂が付設されて利用されましたが、その役割を市民会館に譲り、昭和33年(1958年)に中島公園に移築されました。現在は、国の重要文化財として大切に保存されています。」
と記されています。
案内板の左半分には、明治24年当時の地図が記されていて、当時の豊平館周辺の情景が想像できます。札幌農学校の敷地が広くとられているのもわかり、この敷地の中央部に現在の札幌時計台、当時の札幌農学校演武場が建てられていました。
この地図によると、現在の大通公園の豊平館があった場所だけが狭くなっていて、迎賓館並みの高級施設であった当時の豊平館の敷地が広く豪勢にとられていたということがわかります。
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