(あしあと その99・中央区の64・大通公園の9)
北1条西2丁目にある時計台ビルの北側の歩道上に、ひっそりと石碑がたたずんでいます。これが「札幌農学校演武場跡」碑です。札幌農学校演武場とは現在の札幌市時計台のことです。
石碑は、車道寄りに建てられた見た目も新しいブロックの台座の上に置かれており、碑面に大きく「札幌農学校演武場跡」と刻まれています。
碑の上部に説明板が掲げられており、それには
「札幌農学校演武場
このあたりは、開拓使が米国マサチューセッツ農科大学を範として創設した札幌農学校(初代教頭W.S.クラーク)の旧校地にあたります。
その兵式訓練室と講堂などの機能を併せ持った建物が演武場で、明治11年(1878年)に現在の北2条道路上の位置に建てられ、明治14年(1881年)に塔時計が付設されて、現在「さっぽろ時計台」として親しまれている姿となりました。
その後、札幌農学校は現在の北海道大学の位置に移転され、残された演武場は、明治39年(1906年)に道路整備に伴い約100メートル移動されました。現在は、国の重要文化財として、大切に保存されています。」
と記されています。
また、説明板の左半分には地図が描かれており、札幌農学校の当時の配置図と現在の道路図が重ねられて表示されて比較できるようになっています。この図を見ると、現在の西2丁目通から東側には樹木園が広がっており、時計台ビルのある場所一帯は寄宿舎が建てられていました。演武場は、当時北2条通と西2丁目の仲通りとの交差点中央に所在していたことがうかがえます。
この「札幌農学校演武場跡」碑は、昭和37年に有志によって建立されました。碑銘を揮毫したのは、札幌農学校第19期卒業生の星野勇三であり、星野は豊平区にある八紘学院(現在の八紘学園)の院長として功績を残しました。石碑は、土地の所有者が変わるたびにその所在を転々として、一時は行方不明になっていた時期もあり、現在地に移設されたのは平成22年になります。
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