(あしあと その98・中央区の63・創成川の4)
創成川通に面したANAクランプラザホテル札幌の東側正面玄関の脇に立てられた案内板に、「新渡戸稲造居住地(札幌農学校官舎跡)」の説明板が立てられています。
案内板の右半分には、木造家屋の白黒写真と当時の住宅配置図が印刷され、「博士が住んでいた農学校教授官舎。2階の人は夫人。」という説明があります。左半分には概要が記されていて、そこには
「戦前に国際連盟事務局次長を務めるなど国際的な活躍でも知られる新渡戸稲造は、明治十年(一八七七)に内村鑑三らとともに札幌農学校の二期生として入学し、十四年に卒業した。そのご米国やドイツでの留学を終え、二十四年に教授として再び札幌へ戻った。当時この一角(北三西一~二)は農学校官舎が四棟並び、着任した新渡戸夫婦は三号官邸(北三西二)に住んだ。二十六年十一月には一号官邸(北三西一)に移り、三十年に札幌を離れるまでこの家を本拠に多方面の活躍をしている。
二十九年には札幌農学校に編入した有島武郎が新渡戸宅に寄宿し、新渡戸が去ったのちも三十四年まで住んだ。また、官舎にはブルックスなどの外国人教師や植物園の創設者である宮部金吾も居住していた。」
と記されています。
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