「北緯50度日露国境画定標石」。

(あしあと その55・中央区の46・北海道神宮の2)

「樺太開拓記念碑」に向かって左側の鎖で囲まれた記念碑と同じ敷地内に、2つの碑があります。

記念碑の背面から見た、写真手前の花崗岩でできた白い碑は、樺太の「北緯50度日露国境画定標石」を模したものです。標石の正面には「模造 大日本帝國 (菊の紋章) 境界」、裏面には「РОССІЯ (双頭の鷲の紋章) 1906 ГРАНИЦА」、右側面には「天第四號 明治三十九年」、左側面には「АСТР」と、それぞれ刻まれています。正面に記されているとおり、ここに置かれているものは標石の模造になります。

「北緯50度日露国境画定標石」は、日露戦争後に樺太の南部を日本が領有することになったため、北緯50度線上に設置された境界石を指します。標石は約130㎞ごとに4基置かれましたが、第一號と第三號はサハリン州に、第二號は根室市郷土資料保存センターに保存されてます。第四號は、運搬中の船が間宮海峡で沈没したために水没して行方不明とされていましたが、'13年にサハリン州南部に在住するロシア人男性が保有していることが判明しました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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