(あしあと その24・中央区の22・護国神社の3)
彰徳苑に入って右手の、営門哨舎の左隣にある「北鎮砲兵発祥の地」碑です。自然石の碑にはめ込まれた黒御影石でできた石版には、
「我が、野砲第七連隊の前身独立野戦砲兵大隊は、日清戦争の後、三国干渉によって国論沸騰の中に、明治二十九年十二月札幌の地に創設され、記念すべき北鎮砲兵の殷々たる砲声は石狩河畔に響き渡った。明治三十二年十月、連隊の整備開始により、同大隊はそのまま第二大隊と改称し、新たに第一大隊が編成された。明治三十三年十月、兵営を旭川に移転し、同三十四年七月連隊本部が開設されて、その編成の完結をみた。
茲に、砲兵発祥の地に記念碑を建立し、ゆかりある哨舎の保存と共に、永く先人の遺勲を偲ばんとするものである。
昭和六十年六月吉日 砲七会」
と記されています。碑銘の揮毫は、当時札幌市長を務めた板垣武四氏の筆によるものです。彰徳苑の入り口にある碑として、北国警衛の要衝として配備された精鋭の軍隊の証を表すものとなっています。
碑の背面には、「昭和六十年六月吉日建立 砲七会 会長 松家利男 会員一同」と刻まれた石板がはめ込まれています。
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