「供養塚」と観音像。(あしあと その861・手稲の31・手稲本町の15)手稲本町にある手稲市民墓地は、国道5号と札樽道の間に挟まれた山すその中ほどにあります。細い坂道を登って林が開けたところに広大な墓地が広がっており、その園内の一番奥まったところに大きな石碑が建てられています。24Jan2020〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置慰霊の碑
「御造営記念碑」。(あしあと その736・手稲の30・星置の3)星置神社の境内に白御影でできた石碑が置かれています。台座の上に載せられた白御影石でできたこの碑は、「御造営記念碑」です。03Apr2019〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置信仰の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「星置開基百年紀念碑」。(あしあと その735・手稲の29・星置の2)星置神社の境内に並ぶ2基の石碑のうち、向かって左側に建てられているのが「星置開基百年紀念碑」です。石積みの台座の上に丸石が積みあげられ、その上に巨大な自然石でできた石碑が置かれています。碑面には大きく白抜きで「開基百年」と刻まれています。01Apr2019〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置開基の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「星置開村紀念碑」。(あしあと その734・手稲の28・星置の1)星置神社の社殿の前に2基の石碑が並んで建てられていますが、向かって右側にあるのが「星置開村紀念碑」です。台座の上に建てられた碑の碑面上部には、「星置」と浮彫りがされ、その下に「明治十七年 開村紀念碑」と刻まれています。31Mar2019〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置開基の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「拳々服膺」碑。(あしあと その701・手稲の27・手稲本町の14)手稲本町にある手稲中央小学校の敷地内にある石碑が「拳々服膺(けんけんふくよう)」碑です。01Jan2019〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置教育の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「馬頭観世音」碑。(あしあと その697・手稲の23・富丘の1)手稲区富丘の札樽自動車道と国道5号の間のちょうど中間に、浄苑寺の納骨堂である富丘浄苑があります。24Dec2018〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置馬頭の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「牛馬供養塔」。(あしあと その693・手稲の19・稲穂の1)手稲区稲穂の国道5号沿いにある札幌市手稲区稲穂金山まちづくりセンターの敷地の片隅に石碑が建てられています。16Dec2018〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置馬頭の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「馬頭観世音」碑。(あしあと その692・手稲の18・手稲本町の13)二十四軒手稲通沿いにある銭湯の藤の湯は、大正8年創業の老舗です。藤の湯から少しだけ手稲駅方向に行くと、歩道脇の敷地に小さな石碑が建てられているのが分かります。15Dec2018〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置馬頭の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「月山神社」碑。(あしあと その691・手稲の17・手稲本町の12)手稲神社の境内にある「牛馬塔」碑の右側にあるのが「月山神社」碑です。手稲硬石と思われる台座の上に置かれた碑に向かって、「月山」と「神社」の間に、右から「羽黒山」、「湯殿山」、「鳥海山」と並んで刻まれており、「大正六年五月三日 願主 千葉豊治」と添えらています。「出羽三山」と呼ばれる山岳信仰の大正となっている山は、「月山」、「羽黒山」、「湯殿山」での三峰で、いずれも山形県の県央部にあります。「鳥海山」は県北の秋田県との県境に位置しますが、これも古くから山岳信仰の対象とされています。13Dec2018〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置信仰の碑
「牛馬塔」碑。(あしあと その690・手稲の16・手稲本町の11)手稲神社の社殿東側の奥に並んで建てられている2基の石碑。向かって左側にあるのが「牛馬塔」碑です。12Dec2018〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置馬頭の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「忠魂碑」。(あしあと その689・手稲の15・手稲本町の10)手稲神社の社殿の東側に建てられている大きな自然石でできた碑が「忠魂碑」です。11Dec2018〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置戦役の碑「手稲区史跡ガイドホームページ」
「願い石」碑。(あしあと その688・手稲の14・手稲本町の9)藤白龍神社の小祠に向かって左脇に建てられているのが、白御影石でできた「願い石」碑です。10Dec2018〇手稲区の石碑富丘・手稲本町・稲穂・星置信仰の碑