(あしあと その356・中央区の131・円山の5)
円山の住宅街にある円山まちづくりセンターの前庭に、大きな石碑が2つ並んで建てられています。その一つが、「善徳翁」碑です。
この碑は、円山の開拓に尽力した上田善七の功績を讃えて、当時の丸山村によって建てられました。夏になると、写真の様に碑面に絡んだ蔦が茂り、その碑文を読み取ることが難しくなっています。
資料によると、碑の前面には、上部に「善徳翁」の篆額が施され、その下に次のように刻まれています。
「上田善七翁は南部藩士中村甚四郎の三男にして安政元年四月盛岡に生る明治四年募に應して兄萬平と共に圓山村に移住し開拓の端を拓く十六年圓山村伍長となり爾来圓山学校世話係学務委員村會議員消防組頭等の公職に従ひ公共事業に尽瘁すること四十六年其の功績偉大なり官屡其の功を賞し又大正十三年紺綬褒章を授く翁資性公明任侠父母に事へて至孝兄を輔けて悌人を盡し世を救ひ事に當りて熱誠能く人を動す其の徳郷黨の範たり今年村會の議に依り碑を建て其の功徳を表彰す
昭和三年八月 北海道札幌師範学校長 正五位勲三等柴垣則義記」
碑の背面には、これも読み取りにくくなっていますが、
「現瑞龍承天禅師篆額 札幌師範学校金丸梧舟書 石茂刻」
と刻まれているようです(さっぽろ文庫45「札幌の碑」、山崎長吉著「さっぽろ歴史散歩」)。
上田善七は円山地域の開拓に大きく貢献し、その碑は円山西町にある円山西町神社の境内にも建てられています。
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