(あしあと その210・中央区の109・伏見の3)
藻岩山麓通を通ると、伏見稲荷神社の赤い鳥居が上りの石段に沿って並んでいるのがわかります。
その石段の途中の参道の両脇に、見落としがちな小さな石碑が建っています。これが「御遷座記念」碑です。
札幌軟石でできたこの碑の碑面には「御遷座記念」と、背面には「明治四十年二月二」と刻まれているのが見て取れますが、日付は半ば地面に埋もれていて読み取りにくくなっています。
そこで反対側の同じ碑の背面を確かめてみると、そこには「明治四十年二月二日」ときちんと最後まで読み取れました。
この碑は何を記念したものなのかというと、神社の第一鳥居前に掲げられている由緒書きに詳しく書かれていました。それには、
「伏見稲荷神社の由緒
御祭神 倉稲魂命(ウガノミタマノミコト)
大山祇命(オオヤマツミノミコト)
大国主命(オオクニヌシノミコト)
事代主命(コトシロヌシノミコト)
天鈿女命(アメノウズメノミコト)
当神社は明治十七年四月、初代野村茂翁元官幣大社札幌神社称宜が発願し、京都伏見元官幣大社稲荷神社に勧請し、御分神を奉戴して札幌区南五条東一丁目に奉斎申し上げました。明治三十一年三月琴似村十二軒に御遷座し、更に明治四十年二月藻岩山麓の現在地に遷宮せられました。爾来この地域は京都本宮に準(なぞら)えて伏見と呼称されるようになりました。
大正八年村社に列格、昭和十六年郷社に昇格になりました。当神社の御祭神お稲荷様は衣食住の太祖であり五穀豊穣、殖産興業、商売繁盛の守護神として遍(あまね)く萬民の崇敬を集めるその御神威を高く拝せられる由縁であります。」
と記されており、伏見稲荷神社が明治40年2月に現在地に遷座したことを記念して建てられた碑であることがわかります。
またこの地域は、明治7年の山鼻村から明治39年の藻岩村と地名が変遷してきましたが、明治40年にこの地に伏見稲荷神社が遷座してきたことを受け、明治43年に地域住民の賛同によって伏見と呼ばれることになりました。
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