(あしあと その154・中央区の82・旭ケ丘の3)
「旭可丘」碑から市道を挟んで反対側に、住宅に挟まれてこじんまりと建てられた「無量寿山 常不軽寺」という小さなお寺があります。
このお寺の入口には、お寺の屋根にも届こうかというほどのひときわ大きな石碑が建てられています。それは大東亜戦争の戦没者の霊を慰めるために建てられた「諸霊位追善菩提」碑です。地蔵菩薩と聖観音菩薩を両側に控えた碑の碑面には、黄金色に輝く菊花紋の下に
「大東亜戦争 アッツ島玉砕将兵 戦死将兵戦没者 出征軍馬軍犬 ビルマ独立義勇軍 諸霊位追善菩提」
と刻まれています。
また、碑の背面には
「衆生見劫盡(尽) 大火所焼時 我此土安穏 天人常住満 季一郎」
「一九七三年建立 無量壽(寿)山常不輕(軽)寺 開山一世 淳祐院日助 讃助慈照院日輕(軽)」
と、さらに碑の右側面には、
「法華経一部壽(寿)量品全品一時一石日蓮大 聖人遺文全集アツツ島碧血石基礎埋蔵」
と刻まれています。
この常不軽寺は、北部軍最後の司令官を務めた樋口季一郎の発願によって建てられ、アッツ島で命を落とした多くの兵士の霊を慰めました。上記の碑の背面に書かれた樋口季一郎の名が添えられた二〇文字は、妙法蓮華経の如来寿量品偈(にょらいじゅりょうほんげ)にある言葉で、
「衆生は劫尽きて大火に焼かるると見る時も 我が此の土は安穏にして天人常に充満せり」
と読み下すそうで、その意味は「衆生がこの世の終末を迎え大火に世界が焼かれると見える時にも、私のこの国土は安穏であって天の神々や人々が常に満ちあふれている」ということだそうです。
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