(あしあと その66・中央区の56・山鼻の3)
南22条の市電通を藻岩山の方向にまっすぐ向かい、市電事業所の裏側を回り込むようにして藻岩山のふもとをしばらく進むと、原生林に囲まれた白い鳥居のある建物が山際に見えてきます。この小さな建物は、道内のある宗教団体が建てた「馬頭観世音」を祀ったお堂です。
施錠がされていない引き戸を開いて本堂内を拝観すると、正面に「馬頭観世音」の石碑が鎮座していました。
このお堂の入り口上に掲げられた由来書に、「馬頭」の本来の意味について詳しく説明されています。
「馬頭観世音の由来
凡(およ)そ神の道、仏の道、動植物の道、人の道は社会進化向上に於(おい)て不可欠の道で、之を四方と謂(い)い、之を尊敬し、これを謹行することによって社会を浄化し、真の光明を顕現し得るものである。
而(しか)るに世人は神、仏、人の三道は之を尊敬し謹行して居るも、動植物の道だけは一般に等閑に附し、昔から動植物の諸霊を「馬頭観世音」として祀ったにも不拘(かかわらず)一般に「馬頭」とは馬の頭を祀ったものであると誤解して居ることは誠に遺憾である。
人間以外の動植物直接間接社会に貢献し、死後迄も毛、骨、肉、皮として用いられて居り、殊に馬匹は、山野の開墾に、田畑の耕作に、或は乗馬に、荷物の運搬に、凍る冬季にも、炎暑の真夏にも、骨身を惜しまない、その他数々の人類に貢献するところ意外に驚くばかりである。
馬は諸動植物の筆頭第一位に位せる故、動植物の各霊魂は其の旗下に集るものとして、是等諸霊を祀るために「馬頭」と云う名称を用いたるものである即ち「馬頭」とは諸動植物の長であると云うから諸霊総称の意味を附ちたる名称である事を十分理解して貰いたい。
萬物の霊長たる人間は以上諸動植物の社会人類に貢献する事実に意を注ぎ、常に「馬頭観世音」を礼拝し、至誠至純を以って之を慰霊し成仏せしめる事が一面吾々人類の義務である事を深慮するものである。
(団体名)」
「馬頭観音」は、馬が人類社会の発展に寄与した功績は多大なものであり、すべての動植物の筆頭に位置することから、「馬頭」という尊称をもって崇められているということが記されています。開拓期の人々と苦労をともにした動物たちの存在を、私たちは忘れてはなりません。
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