(あしあと その67・南区の9・真駒内の1)
豊平川の右岸通を真駒内方向に向かって、突き当たりの交差点の車止めを越えたところに、豊平川を背にして説明板が建てられています。そこは、馬車道の延長として豊平川に設けられた「馬の渡し渡船場跡」です。現在は豊平川に藻岩橋が架けられ、真駒内地区と対岸の藻岩下地区を結んでいますが、明治9年に石山から切り出された札幌軟石を運搬するための馬車道が開削された際に、この場所に軟石を背負った馬を対岸に渡すための渡船場が設置されました。
説明板には、
「馬の渡し渡船場跡
明治9年(1876)、真駒内に牧牛場(後の種畜牧場)が開かれ、また石山の軟石を運ぶため、山鼻村から真駒内を経て石山までの馬車道がつくられました。ここは、大正初期まで馬を渡す渡船場が置かれていた所です。対岸の藻岩下地区では上山鼻渡船場と呼ばれていました。」
と記されています。
明治天皇の御巡幸に当って豊平川に朱塗りの仮橋が設けられましたが、翌年には流失してしまい、その後は渡船場として利用されていました。ところがこの渡船場は、大正初期に洪水によって使用できなくなってしまい、この場所から約200メートルほど上流にある位置に移設されました。
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