(あしあと その64・中央区の55・山鼻の2)
国道230号通称石山通を走っていると、南29条の西側に銅像が立っているのが見えます。その姿は、鍬を手にして開拓の大地を耕す屯田兵の勇姿を表した「山鼻屯田兵の像」です。
台座の上に建てられた高さ4メートルのブロンズ像は、右足を大きく一歩踏み込んで手にした大きな鍬を後ろに引き、広大な北の大地を見渡しています。平素は農業に従事しながら治安の任務にあたった屯田兵は、北海道の各地に入植して厳しい自然の中で未開の地を拓きました。
台座には2枚の石板がはめ込まれており、右側の石版には
「明治九年 自然の荒野を拓いたたくましい開拓精神を永久にたたえて この像を建てる」
と、左側の石版には
「山鼻屯田兵の像 昭和四十二年八月十日 札幌市長 原田与作」
と刻まれています。また由来記の裏面には、「昭和44年11月建立」と記されています。
また像の右側には由来記が建てられていて、それには
「山鼻屯田兵の像 由来記
明治8年開拓長官黒田清隆の建議に基づき北方警備と北海道開拓のために屯田兵制度が布かれ、翌9年5月東北各県の士族240戸が移住し山鼻兵村を開いた。
屯田兵は当時前人未踏の地であった山鼻地区を数々の困難を克服して切り開き輝かしい業績を残し札幌市発展の基礎を築いた。
この地はこれら開拓先人の霊が眠る山鼻墓地であったが、市勢の飛躍的な発展に伴ない昭和40年から静寂のち平岸霊園に移転改葬した。
こゝに往時を偲び先人の業績を讃えて屯田兵の像を建立した。」
と記されています。当時はこの周辺一帯に山鼻墓地が広がって、開拓の先人以来の霊が永久に眠る地でした。
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