(あしあと その34・中央区の32・護国神社の13)
彰徳苑の12基目の碑は、「山鼻神社碑」です。手前に白御影石の新しい碑が置かれ、その後ろ側に自然石を使った古い碑が並んでいます。この碑群の手前にある丸っこくて上部中央に凹みがある石は、参拝者の手を清める手水(ちょうず)石です
この碑の左側面には、多賀殿に迎えられた際に合祀された「天照皇大神(あまてらすおおみかみ)宮」のほか、「大山祗大神(おおやまつみのおおかみ)」、「耳早立雄之神(みみはやのおのかみ)」、「天満宮大神(てんまんぐうおおかみ)」の三神の名前が、さらに背面には、「昭和四十六年九月五日 立之 旧山鼻神社崇敬講一同」と刻まれています。
また、碑の前の立木に掲げられた説明書きには、
「山鼻神社の由来記
此処に二つの山鼻神社碑が建立されて居りますが小さい碑は札幌市中央区南三十条西十一丁目の藻岩山麓に百十余年前にあったのが、平成二年九月三日にこの地に移転されましたが、山鼻屯田兵の入植されたのが明治九年五月二十九日ですのでおそらくそれ以前山鼻の地に先発として来られた方が建立した事と推察されます。
大きい山鼻神社碑は山鼻屯田兵の方により山鼻神社として建立され昭和四十六年に元の南十八条西十三丁目より御祭神を多賀殿に合祀し八月七日・八の両日に大祭が執り行はれ碑前祭は九月五日に斉行されて居ります。
平成三年九月 山鼻神社碑保存会 代表 大川武夫」
とあり、この中に書かれた大きい方の山鼻神社碑は手前の碑を指します。
説明書きにある小さい碑が、後ろに並んだ碑の一番左側に建っているこの古い方の「山鼻神社」碑で、碑の右側面には「明治九年二月」と刻まれているのがわかります。
山鼻神社は、明治23年5月、現在の南22条西13丁目に山鼻屯田兵の守護神として建立され、昭和46年に山鼻神社の神霊を護国神社多賀殿にお迎えして以後、山鼻地区の守護神として奉られています。
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