(あしあと その7・中央区の6・創成川の2)
「大友亀太郎像」の川を挟んだ反対岸に、復元された「北海道里程元標」の石柱が建てられています。
この復元元標が建てられたのは、創成川公園が完成した平成23年で、まだ真新しい石柱が、南一条通と創成川通の交差点の川のほとりに堂々たる姿を見せています。北海道の開拓の歴史は、南1条東1丁目のこの場所から始まりました。大きく「北海道里程元標」と刻まれた碑は南を正面にして建てられており、西面には
「篠路驛 三里拾丁弐拾間 錢函驛 五里拾丁三拾間」
東面には
「對雁驛 四里拾六丁五拾三間 島松驛 五里弐拾七丁四拾五間」
と、とそれぞれの駅までの距離が示されています。また碑の背面には、「平成二十三年三月 再建」と大きく刻まれています。
碑の右後部には副碑があり、それには、
「北海道里程元標
北海道里程元標は、明治六年の太政官布告により、北海道の道路の起点である事を示すため、創成橋の東袂であるこの地に置かれた。正面となる南面には北海道里程元標の標記、北面には設置年月日が記され、東西面には、駅等の交通の要所に設置される里程標までの距離が記載されていた。当時の標柱はヒノキ又はトドマツ製で一尺角(約30センチメートル)、高さが一丈三尺(約363センチメートル)あり、高層建築物が無かった頃、遠方からでもその存在が容易に確認でき、明治時代の北海道開拓に際し、人々の往来や物流を支え、陸路の標として活躍したであろうと思われる。
その後、大正八年に旧道路法が制定され、道路の起点を表す標柱は道路元標へと変わり、設置場所も北三条西六丁目の北海道庁前へと移り、木製の里程元標の行方は不明である。
ここに建立した標柱は、北海道開拓の起点としてのこの場所の存在を、創成橋とともに後世に伝えるため再建したものである。再建にあたり、当時の記録が存在していない西面の里程の記載については、文献や地図を参考に推察し復元した。
平成二十三年三月 札幌市」
と記されたブロンズ板がはめ込まれています。
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