(あしあと その6・中央区の5・創成川の1)
札幌の市街を東西に分けて流れる創成川は、相模国出身の幕臣大友亀太郎によって開拓使が置かれる以前に掘削されていた「大友堀」が元になっています。この川の両岸に平成23年に完成した創成川公園の一角には、望遠鏡を手にした「大友亀太郎像」が鎮座し、その功績を広く市民に知らしめています。
この像は昭和61年に造られましたが、その当時は北1条西1丁目の創成川のほとりに建てられていました。創成川通のアンダーパス連続化工事の着工を期に一時他の区に移設されましたが、平成23年の創成川公園の完成とともに現在地に移されました。
像に向かって右隣には、かつて創成川に架けられていた、石造の創成橋の欄干の一部が保存されています。
大友像に向かって左側には副碑があり、それには
「札幌の先駆者・大友亀太郎は、天保五年(一八三四)に現在の神奈川県小田原市で生れた。二宮尊徳の門に学び「人の一生は金銀財宝に富めるにあらず、積善の道に如かず」を信念とした。安政五年(一八五八)に渡道し、慶応二年(一八六六)には箱館奉行に蝦夷地開墾の計画を提出するととともに石狩地方開拓の命を受け、札幌市東区(旧・元村)に土地を選んで開墾し、札幌の街づくりの発端となった。明治二年(一八六九)これを開拓使に引き継ぎ、翌三年、札幌を去った。亀太郎が掘った大友堀は 今日の創成川の基となって街の中心部を流れ続けている。
昭和六十一年五月 制作者 農民彫刻家 松田与一 題字 札幌市長 板垣武四 大友亀太郎像建立実行委員会 委員長 清水利信 [財団法人北海道報徳社社長理事]」
と刻まれています。
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