「片岡唯一郎翁之像」。

(あしあと その566・中央区の200・円山の8)

南1条通通称裏参道を円山公園に向かって進んでいくと、左手の円山公園との境界にある店舗の敷地の奥に、ブロンズ製の胸像がひっそりとたたずんでいるのが見えます。

早朝の営業時間前に通りかかったので、ちょっと失礼して近くまで行って見てみると、老齢の男性の半身が台座の上に置かれており、台座の正面には「片岡唯一郎翁之像 (以下不詳)」と記されたブロンズ板がはめ込まれていました。

台座の左側面にもブロンズ板がはめ込まれており、そこには次のように記されています。

「片岡唯一郎翁岡山縣ノ人明治二十五年北海道札幌ニ來タリ酒造業ニ大成シ資性剛直ニシテ謹素常ニ勤儉保在ニ努メ事業ニ親シムコト五拾有餘年現ニ拾数社ノ取締役トシテ重職ヲ帶フ昭和九年拾月北海自動車工業株式會社ヲ創立シ相次テ東邦自動車株式會社東京大日商會ヲ設立シ推サレテ社長トナリ日本フオード自動車北海道樺太青森縣一圓ノ總特約販賣ノ特權ヲ掌握シ直ニ斯界ノ覇者トシテ名聲ヲ揚ク是レ翁ノ旺盛ナル志氣ノ發露ニシテ吾等ノ等シク畏敬スル所タリ翁今ヤ還暦ヲ喩エテ健康矍鑠會社ノ爲メニ盡瘁セラルルハ欣喜ニ堪ヘス茲ニ紀元二千六百年ヲ記念シ胥謀リ翁ノ壽像ヲ造リ之ヲ奉呈シ以テ長ヘニ翁ノ功績ヲ讃エ且ツ鴻恩ニ對スル微意ヲ表シ兼ネテ將來無彊ノ壽福ヲ祈ル

昭和拾五年拾壱月吉日 北海自動車工業株式會社 東邦自動車株式會社 大日商會」

岡山県出身の片岡氏は、明治6年生まれ。明治25年に札幌に渡ると、南4条東1丁目において雑品屋を開業し、その後食料雑貨商を営みました。明治45年に酒造会社7社を合同して片岡合名会社を設立しましたが、それは後に日本清酒株式会社となり、今でも千歳鶴の銘柄を主力商品とする日本酒を製造しています。

この胸像は、片岡氏が酒造業から自動車工業にその手腕を発揮したことを讃えて遺されたものだと思われますが、なぜ今この地に置かれているのかは判然としません。ただ、この近くの北1西28にかつて氏の自宅があったようです。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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