「阪本直寛之墓」。

(あしあと その731・中央区の230・円山の9)

円山公園の南に位置する円山墓地の一角に、ひときわ大きな自然石でできたお墓があります。墓碑には、浮き彫りにされた十字架の下に、「阪本直寛之墓」と刻まれています。

この墓碑に並んで幾つかの坂本名のお墓が並んだ左側に、「坂本一族ここにねむる」と刻まれた小さな碑があります。

一番左には石板の碑が建てられており、その碑面には、「土佐國 山内候之家臣」の浮彫がされた下に「坂本家累代之墓誌」と刻まれ、さらにその下には、「初代 坂本八平 直海 二代 坂本八郎 直澄 三代 坂本八平 直足」に続いて、「四代 直足長男 坂本権平 直方 直足次男 坂本龍馬 直柔」の名が刻まれており、さらに「五代 坂本直寛 六代 坂本彌太郎」と続いています。末尾には、「昭和二十一年夏 六代 坂本彌太郎建立之」と添えられています。

この墓誌が示すとおり、ここにあるのは坂本龍馬の一族のお墓であり、坂本直寛は坂本家の5代目当主で坂本龍馬の甥に当たります。明治に入ってから自由民権運動に携わって政治家となり、上京した際に逮捕されて投獄されましたが、恩赦を受けて帰郷しました。その後縁があって北海道の北見の開拓を志して入植し、家族を呼び寄せて浦臼に移りましたが、さらに旭川、釧路、札幌と道内を転々としながら、牧師としてキリスト教の伝道に尽力しました。直寛と妻鶴井の間に娘の直意が生まれ、その夫である彌太郎との間にもうけた息子が、画家として活躍した坂本直行になります。

一族の墓は墓地の奥まった一角にあり、訪れる人も少ない閑散とした草地の中にひっそりと佇んでいます。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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