(あしあと その546・中央区の191・山鼻の12)
中央区南7条西8丁目にある古刹の「真宗大谷派札幌別院」、通称「東本願寺札幌別院」です。同寺の歴史は、明治3年の開拓初期に始まります。真宗大谷派が北海道の開拓に当たって、弱冠19歳の現如上人を筆頭に百数十人の門徒を派遣しました。その拠点として開いたのが札幌別院です。
寺門の前には、白御影石でできた巨大な石柱が立てられていて、その正面には、「勅賜 東本願寺管刹地所」と刻まれています。「勅賜」とは、「天皇から授けられる」という意味です。「管刹」とは「寺の建物」というような意味で、文面は「ここは東本願寺を建てるための地所として天皇から授けられた」ことを意味しています。
石柱の左側面には、「明治三年七月建設セシモ腐朽セシヲ以テ今回石材ニテ再建 昭和七年十二月 北海道廳長官 佐上信一書之」と刻まれています。
石柱の右側面には、「明治三年庚午(かのえうま)七月」と刻まれています。「庚午」は「こうご」とも読み、明治3年を十二支で呼称したものです。
現如上人は、東本願寺の門徒を率いて来道して早々、その目的の一つである「新道切開」に着手し、現在の伊達市から中山峠を経由して豊平区平岸に至る東本願寺道路を完成させました。その跡は、伊達市(当時のオサリベツ、現在の長和)や中山峠の喜茂別町側、南区簾舞、豊平区平岸などに残されています。
約100キロメートルにも及ぶ急峻な山間を通行する幅約3メートルの道路を、冬期を除く約半年間という突貫工事で完成させたこの難工事は、東本願寺の門徒だけで完成させることは当然不可能であり、作業の多くに北海道に先住するアイヌを隷従させて酷使したことが語られていますが、その全容は明らかにされていません。
これだけの大規模な開削工事が行われたにもかかわらず、完成してわずか2年後に札幌本道(現在の国道36号の基礎となった道路)が完成したため、通行者が激減してすたれてしまいました。
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