「山乃神」碑。

(あしあと その754・南区の164・簾舞の14)

'18年に「定山渓鉄道」を上梓した久保氏が本を上梓して間もないころ、個人的にさっぽろ石碑探索部での講演をお願いしました。とても興味深いお話をたくさんお伺いすることができた講演は、大盛況のうちに終了することができましたが、しばらくして久保氏から「定山渓鉄道の跡地巡りをしてみませんか」とのお誘いがあり、さっぽろ石碑探索部のメンバー数人と案内をお願いしました。

実は、「定山渓鉄道」の著作には、枯れた木々を背景にして木製の古びた鳥居の奥に石碑と小さな祠が撮影されているとても興味深い一枚の写真が収めれていて(P141)、そこには平成18年に撮影された「簾舞停車場」の構内跡にある小さな祠といった注が付されていたのですが、現在のどこで撮影されたものなのかとても気になっていたことから、跡地巡りを機会に確認してみようと思っていました。

簾舞にある旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)を見学した後、簾舞地区の定鉄の廃線跡を辿っていくと、かつての簾舞停車場跡地であり、最近まで貯木場などとして活用されていたと思われる広大な空地に入ると、久保氏は「そういえばどこかに石碑があったと記憶しているんだけどなあ」と言ってズンズンと茂みの奥に向かって歩いていきました。石碑と聞いてもしやと期待しながらその後ろをついていったところ、木々に隠れて遠目に何やらそびえたつ物体があるのが目に留まりました。

道なき道をものともせずにその近くまで行ってみると、それは台座の上に建てられた札幌軟石でできた高さ2メートル近くもある大きな石碑で、碑面には大きく「山乃神」と刻まれていました。

台座の上台の正面には、「奉納」という浮彫りがされており、右側面には「昭和九年七月十五日建之」と刻まれていました。

「定山渓鉄道」に掲載された写真には、この石碑の前に木製の鳥居があり、奥には小さな祠が建てられていますが、現在は祠は跡形もなくなっており、石碑のすぐそばに鳥居の残骸と思われる朽ちた丸木が放置されていました。

今はもうだれ一人足を踏み入れる場所ではなくなってしまいましたが、石碑の存在だけがひっそりとかつての簾舞の歴史を語り継いでいました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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