「あゝ結城先生」碑と副碑。

(あしあと その740・中央区の232・盤渓の4)

盤渓小学校のグラウンドの山際に、石積みの台座の上に建つ石碑があります。中央には白御影石で造られた男性の胸像、向かって左側には自然石でできた石碑、そして右側には副碑が並んで置かれています。自然石でできた石碑の碑面には、「あゝ結城先生」と刻まれています。

副碑の碑面には、

「故結城先生を偲ぶ

今は昔 熊笹道を覆ふ盤の沢開拓に勵む頃四十二年前童心に哀しい想い出を残した

あゝ先生が この地に御着任以来六年の星霜内容整備充實尽瘁校舎新築亦成り永年待望の小學校昇格をむかえた

大正十一年十二月二十三日落成式前日教育勅語戊申詔書奉遷の途上山の夜道の猛吹雪大自然の猛威に先生遂に力尽く 生死の境紋衣で包み 堅く抱き あたら四十二年 尊い殉職の身とならる

先生常に児童と金剛石をうたわれ金剛石先生と敬称され慕われつつ校下の信賴を深められた

あゝ先生の尊い御靈は永遠にこの地にとどまる 先生を偲ぶ教え子同志の方の心は凝ってこの紀念の碑となりました あゝ先生

進藤ハル撰文 清碧文書」

と刻まれています。

副碑の背面には30人ほどの氏名が刻まれ、末尾に「昭和三十九年五月十七日建設之 山崎藤与吉」と刻まれています。

中央に置かれた胸像の台座の背面には、「平成二十四年七月吉日 開校百周年記念 結城三郎先生を偲ぶ会 代表」と刻まれています。

結城三郎氏は、大正7年に琴似小学校の分校であった盤之沢特別教授場の教師として着任し、教授場を小学校に昇格させようと尽力しました。その甲斐あって、大正12年に小学校への昇格が決まり、結城先生は同校の初代校長に任命されました。大正11年12月に新校舎が落成するのを見届けると、先生は峠を越えて琴似村役場に向かい、教育勅語を受領したその足で学校への帰途につきましたが、その途中で猛吹雪に遭遇して体力が尽き、小学校を目前にして倒れました。

先生が同校の校長であったのはわずか一日であったことから、その名が伝えられることがないまま忘れられていましたが、当時の教え子たちが先生の功績を後世に残すためにこの石碑を建てました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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