「御休跡碑」。

(あしあと その739・中央区の231・盤渓の3)

円山公園から宮の森に向かい、山を越えて盤渓に抜ける市道の一番高い場所が盤渓峠です。この市道の西側に石垣が続いていますが、その途中に小高い丘の上に登る石積みの階段が設けられています。

下から見上げると、途中で踊り場が2か所ほどある50段ほどの階段になっているのが分かります。

石段を歩いて上っていくと、その頂上部分に開かれた敷地があり、その一角に大きな石碑が建てられています。

平たい石を積み重ねた台座の上に、硬石と思われる棹石が置かれたこの石碑は「御休跡碑」です。碑面には大きく「御休跡碑」と刻まれており、その脇に「琴似村長 正八位勲五等 淸水凉 謹書」と添えられています。

碑の背面には、

「昭和三年二月二十三日秩父宮殿下御來道ノ砌スキー御登行ノ御途次本地ニ御休憩アラセラレ部落民一同拝姿ノ光榮ニ浴シタルヲ記念シ紀元二千六百年記念事業トシテ之ヲ建設ス

札幌郡琴似村 石谷動水 刻」

と刻まれています。石谷動水は琴似村に居住していた石工と思われ、西区役所の前庭に並べられた石碑の一つである「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」碑の背面にもその名が残されています。

台座の正面には「八紘一宇」と浮彫りがされた石板がはめ込まれています。「八紘一宇」とは日本書紀の記述にある「天下・全世界を一つの家にすること」の意味で、この碑が建てられた昭和15年に第二次近衛内閣が政治スローガンとして掲げた言葉です。

台座の右側面には「賛同者 順予不同」と題された石板がはめ込まれており、そこには役職に続いて氏名が刻まれています。役職だけを列挙していくと、「敷地寄附者」、「札幌營林区署長」、「琴似村ゝ會議員」、「同在郷軍人分會長」、「同警防團長」、「同學務委員」、「建設委員」、「盤ノ澤区長」、「小別澤区長」と並び、次に「發起人」として「盤渓小學校長」、「同保護者會長」と続いています。

台座の背面には、上下を「盤ノ澤」と「小別澤」に分けて氏名が多数刻まれ、その末尾に「在郷軍人第八班」、「愛国國防聯合婦人會」、「盤渓青年分團」、「仝女子青年團」、「盤渓〇〇小學校在校児童」、「盤渓青年學校在校生徒」と続いています。

台座の左側面には、「奉迎者氏名」として「職員」と「児童」、「部落民」に分けて多数の氏名が刻まれています。

秩父宮は、大正天皇の第二皇子で、スキーやラグビーの振興に尽力されました。この石碑に刻まれた昭和3年に御来道された際に、五輪開催を見据えて大型スキージャンプ台や国際級の洋式ホテルの建設を提案され、それらは大倉山ジャンプ競技場の建設や札幌グランドホテルの開業として実現しました。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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