「おいらん淵」。

(あしあと その651・南区の145・川沿の12)

南区の川沿にある藻南公園は、豊平川の左岸に広がる市民公園で、夏は家族連れや小中学校の炊事遠足などで賑わいます。その河畔に降りる坂の途中に広場があり、その鉄柵沿いに見過ごしてしまうほどの小さな説明板が立てられています。

金属製の説明板には、

「おいらん淵

このあたりは明治の頃、クマザサがうっそうと生い茂り、豊平川は曲がりくねり急に深くなっていた。吉原遊郭から身請けされて札幌に来た一人の花魁が世をはかなんでこの淵に身を投げたという伝説にちなみ、おいらん淵と呼ばれるようになった。由来についてはいろいろな説があり、事実は定かではないが、札幌では数少ない伝説にちなむ地名である。」

と記されていますが、残念ながらこの時期は草木が生い茂って、川面まで見通すことはできませんでした。

ちなみに、この説明板から坂を上がって公園の北に向かうと宝性地蔵尊があり、そのそばにも「おいらん淵」についての説明板が立てられています。

そこにはもう少し詳しい伝説が語られていて、

「おいらんぶち(花魁渕)の由来

右手花壇広場の崖下川原に佇立している岩の付近を、おいらん渕という。

この渕、豊平川の流れの中で最も深く、その昔は清らかな”よどみ”であった。明治の末頃吉原より身請けされて来たおいらんが、話と違うあまりの淋しさに世をはかなみ着飾って身を投じ、短く哀しい一生を終えたという話から、おいらん渕といわれるようになった。しかしこの話は、伝説的に語り継がれてきたものであり、異説もあるが大要にかわりはない。いずれにせよ、この渕の断崖絶壁を眺めていると、その昔おいらんという不幸な運命を背負った女性が、身を投じたという話に実感がこもってくる。

北海道伝説集 和人篇 「花魁渕地名伝説」による」

と記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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