「旧札幌農学校演武場(時計台)」。

(あしあと その500・中央区の171・大通公園の24)

札幌市役所の北側のビジネスビルに囲まれた一角に、木造造りのこじんまりとした建物が建っています。これが、札幌市のシンボルとして大切に保存されている「旧札幌農学校演武場」です。通称「時計台」。入り口の屋根の上に設置された時計塔の4面にある文字盤の時計は、現在も時を刻み続けています。

建物の入り口には、説明板が立てられており、そこには、

「重要文化財 旧札幌農学校演武場(時計台)

この建物は、日本最初の農業高等専門学校として、明治9年8月にクラーク博士を初代教頭に迎えて開校した札幌農学校の演武場であります。

演武場は、講堂をかねた兵式教練場として第2代教頭ホイラー博士によって計画され、当時の米国中・西部開拓地の木造建築様式にならって北海道開拓使工業局の設計監督のもとに建築され、明治11年10月16日に完成しました。

時計塔は、明治14年に米国ボストン市ハワード時計会社製の時打ち重錘式の大時計を備えて設置され、8月12日の正式鳴鐘以来現在も往時の姿のまま時を告げ続けております。

北海道大学の前身である札幌農学校は、北海道の開拓や日本文化の発展に寄与する多くの人材を育成しましたが、彼らに愛され親しまれた時計台の鐘の音は札幌のシンボルといわれております。

時計台は公共的な施設として時代の変遷のなかで広く利用され、札幌のそして北海道の教育・文化の発展に大きな役割を果たし、昭和45年6月国の重要文化財に指定され、現在は館内を札幌歴史館として一般公開しております。

時計台は、札幌市の歴史と文化を象徴するものとして"わたしたちは、時計台の鐘がなる札幌の市民です"と札幌市民憲章前章にうたわれ、市民の誇りとなっております。」

と記されています。

時計台の敷地内を巡ると、その南東側の片隅に小さな石標が建てられているのが分かります。

一部破損した石標の一面には「第九號標」と刻まれているのが読み取れます。

その背面には、「札幌農學校用地」と刻まれています。

当初、この演武場が建てられていた場所は、現在時計台が建てられている位置から北側に百メートルほど離れた交差点内であり、その付近には「札幌農学校演武場跡」碑が置かれています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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