(あしあと その484・西区の24・琴似神社の3)
琴似神社の境内の一隅に、木々で囲まれた石積みの跡が残されています。そこには、かつて「琴似兵村五十年記念塔」が建てられていました。
跡地の前には説明板が立てられていて、それには、かつての記念塔の姿を写した白黒写真を背景にして、次のように記されています。
「琴似兵村五十年記念塔跡
琴似兵村五十年記念塔は、大正十三年九月(一九二四)琴似兵村五十年記念会によって建設された。
以来、時代の変遷とともにこの地の発展を見守ってきたが、永い歳月を経て老朽化が著しく、やむを得ず平成十年九月(一九九八)解体撤去した。
ここは五十年記念塔跡地で、写真は建設当時の記念塔と記念館(戦後焼失)である。
ちなみに、平成十一年九月これに代る琴似屯田兵顕彰碑を西区屯田の森に建設した。」
記念館は昭和30年に火災により焼失しました。
記念塔は、大正13年7月に工事が開始され、同年8月31日に竣工しました。弾丸を象った塔の本体は銅製で、直径が45センチ、高さは3.5メートルあり、その先端には星章が取り付けられていました。鉄筋コンクリート製の台座を含むと、高さは約5メートルにもなる立派なものでした。「琴似兵村五十年記念塔」の碑銘は、当時の陸軍第七師団長国司伍七中将の揮毫によるものと言われ、碑の裏側には、屯田兵村に最初に移住した240人の氏名が兵屋番号順に記されていました。
また、この碑に代って建てられた琴似屯田兵顕彰碑は、琴似神社の向かい側にある西区役所の南側に建てられています。
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