(あしあと その433・西区の15・琴似の4)
札幌市西区役所の前庭に並ぶ4番目の碑は、「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」碑です。石組みの台座の上に自然石が置かれ、その上に平板の石碑が建てられています。碑面には大きく、「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾」と刻まれており、その左側に「八十四翁安孫子倫彦 書」と小さく添えられています。
碑の背面には、
「紀元二千六百年建之
記
明治八年五月 移住當隊編成
明治二十四年四月 豫備役編入
明治二十九年四月 後備役編入」
に続けて、「建設者」と「建設委員」の多数の氏名が刻まれており、「石谷動水謹刻」で結ばれています。
台座の背面には、黒御影石でできた「昭和四十七年十月吉日に此の位置に移した」と刻まれた石板と、その下に本碑と同じ材質と思われる石板がはめ込まれていますが、これには台座の成分から染み出した塩分のような凝固物によって一部が覆われてしまい、
「この碑〇〇と北〇〇〇十米の処に在ったものであるが郵便局庁舎建築の爲茲に移〇〇のである
昭和三十七年五月二十七日建」
としか解読できません。
碑前に立てられた説明板には、
「陸軍屯田兵第一大隊第一中隊本部之趾
記(紀)元二千六百年を祝して、昭和十五年(一九四〇年)現在の西区役所の北西角付近に建立される。(西区役所は中隊本部敷地跡にあたる。)」
と記されています。
碑銘を揮毫した安孫子倫彦氏は、安政4年に会津藩士の家に生まれ育ち、戊辰戦争において父と兄を亡くしました。敗戦後は、斗南藩移住を経て明治8年に琴似屯田兵村に入植し、屯田兵として数々の戦場に赴きましたが、除隊後は農業試験場の誘致に尽力するなど、琴似地区の発展に寄与しました。
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