(あしあと その176・中央区の100・山鼻の8)
山鼻公園の中央に鎮座する「山鼻兵村開設碑」から西に視線を移すと、国道230号が南北に走っているのがわかります。公園内には、国道の歩道に沿って樹木が植えられていますが、その木立に紛れて金属製の説明板が建てられています。
それは、金属柱の先端に、斜めに四面体が取り付けられた形状をしていて、その一面に「山鼻屯田兵村跡」と記されています。
別の面には、
「山鼻は、明治9年(1876年)札幌で2番目の屯田兵村が形成され、東北各地から240戸が現在の南6条から南23条、西8丁目から西13丁目にかけて入植した。屯田兵制度は明治37年(1904年)に廃止されたが、西11丁目を通る馬車鉄道の開通(同42年)や中島公園での開道50年記念博覧会の開催(大正7年)などにより住宅地として開けていった。西9丁目の「東屯田通り」と西13丁目の「西屯田通り」その名をとどめている。」
と記されています。
また、最後の面には洋画が転写されており、「明治14年天皇行幸に際して描かれた山鼻兵村」と説明書きがあります。この洋画は、真駒内から山鼻を経て豊平館に向かう際の御列の様子が描かれたものです。この明治天皇が行幸された際に立ち寄られた証しとして各地に残されています。
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