(あしあと その148・中央区の78・旭ケ丘の1)
慈啓会病院前の藻岩山の登山道から市道をまっすぐ下りてきた旭ケ丘4丁目の一角に小さな三叉路があり、その敷地の角を注意してよく見てみると、半分折れた状態の石碑が建っているのがわかります。これが「(新)清水」碑で、この碑は先が折れていて、残った部分に「清水」と大きく刻まれているのが見て取れます。
この石碑の正面に「清水」と刻まれた碑銘の下に続けて、
「明治三十九年五月十五日― 園田道廰長官閣下御登山― 閣下當山麓名為清水○○―」
と刻まれているのがわかります。
その右側面には、「○年山開祭日建之 住職 林玄松」と、さらに左側面には、「○七反八畝十九歩」と、そして背面にあたる部分には、「明治三十九年 五月二十二日 家特○ 新善光寺○○」と刻まれています。
園田安賢は、薩摩藩出身の警視総監を務めた人物で、その後第8代の北海道庁長官を務めました。また、林玄松は、この碑にも刻まれた中央区南6条西1丁目にある新善光寺の第二世住職であり、この碑の山側にある現在の慈啓会老人ホームの前身である札幌養老院を開院した方です。
札幌の歴史に関する著者を多く残した教育家、山崎長吉氏の「さっぽろ歴史散歩」に、わずかではありますがこの碑に触れた文章があり、「明治39年5月15日に、ときの北海道庁長官園田安賢が訪れ、その見下ろす絶景を絶賛、京都の清水にたとえ新清水と称した。」と記されています。また、札幌市教育委員会編集の「さっぽろ文庫45 札幌の碑」にも、「京都の清水にちなんでの命名記念」と記されています。
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