(あしあと その108・中央区の68・創成川以東の2)
'11年度をもって閉館した中央若者活動センターの広大な跡地の一隅に、ブロンズ製の立像がポツンと残されています。これは、札幌農学校出身の新渡戸稲造の功績を称えて建てられた「新渡戸稲造萬里子両先生顕彰碑」です。
ブロンズ像は、北海道に縁の深い彫刻家山内杜夫の作品です。その台座には、「学問余里(より)実行」の文字を記したプレートがはめ込まれています。
さらにブロンズ像の青年が抱えているレリーフには、「新渡戸稲造萬理子両先生」と題された男女の胸像が象られています。
このブロンズ像が建てられている敷地は、明治27年に新渡戸稲造夫妻が貧しい子どもたちのために私財をなげうって開設した遠友夜学校の跡地になります。ここには'11年まで中央若者活動センターの建物があり、その後解体されて更地になっていましたが、その後新しく公園になっていました。公園の名称は、「新渡戸稲造記念公園」。かつて遠友夜学校が所在した場所を公園に整備して、新渡戸の功績が末永く引き継がれることになりました。
「新渡戸稲造顕彰碑」は公園の南東端に移設され、その左横に説明が記されたレリーフが掲げられています。
レリーフには、
「新渡戸稲造の精神を受け継ぐ札幌遠友夜学校跡地
この土地は、1894年(明治27年)新渡戸稲造が勤労青少年や晩学者のために開設した男女共学の無料の私設夜間教育施設「札幌遠友夜学校」の跡地です。
当時札幌農学校の教授であった新渡戸稲造は、妻メリー夫人の実家に引き取られて育った孤児の女性から遺贈された1000ドルをもとに古家付き土地を購入して学校とし、主に札幌農学校(のち北海道大学)の学生たちが無償で教育に当たりました。女子に対する裁縫等の教育は地域の女性たちが協力しました。1944年(昭和19年)に閉校するまでの50年間に数千人が学び、1000人以上もの卒業生を世に送り出しました。
その後、運営母体の財団法人札幌遠友夜学校から市に無償譲渡されたこの土地に、1964年(昭和39年)札幌市勤労青少年ホームが建設され、1979年(昭和54年)新渡戸稲造博士顕彰会により、札幌出身の彫刻家山内杜夫制作の「新渡戸稲造萬里子両先生顕彰碑」が前庭に建立されました。
そして、2011年(平成23年)レッツ中央(旧札幌市勤労青少年ホーム)が解体されたことをうけて、2015年(平成27年)地域の交流拠点となり新渡戸稲造の精神を受け継ぐ「新渡戸稲造記念公園」として整備されました。」
と記されています。
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