(あしあと その87・中央区の61・中島公園の5)
中島公園の敷地の北半分を占める菖蒲池。手漕ぎボートも楽しめる広大なこの池の北西側に、手入れが行き届いた日本庭園が広がります。この庭園の一角に保存されているのが、歴史的建造物であり、国の指定重要文化財の「八窓庵」です。
この建物の建造時期は不明ですが、もとは滋賀県で保存されていたものが札幌に移築された茶室になります。中には入ることはできませんが、茶室の周囲をぐるりと歩いみるだけで、日本家屋特有のわびさびが味わえます。
入り口の左手に掲げられた案内板には、八窓庵について次のような説明が記されています。
「国指定重要文化財 八窓庵(はっそうあん) (旧舎那院忘筌)(きゅうしゃないんぼうせん)
八窓庵は、江戸初期の大名で茶人の小堀遠州(1579~1647年)が建てたと伝えられる茶室である。
遠州は、「多能なる天才」といわれ、徳川幕府の作事奉行として築城・築堤で名を挙げ、茶室建築。作庭も行い、多くの著名な作品を遺している。その遠州の美意識や茶の湯の心は「綺麗さび」と呼ばれている。
八窓庵(東側部分)は草庵式二畳台目の席で、床柱はチシヤ(百日紅とも)・向柱は楓、中柱は皮付の赤松、北面の軒桁は栗のなぐり、天井には真菰が使用され、壁は聚楽土をもちい、席中に八ヶ所の窓を配している。
八窓庵の正確な建築年代は不詳で、しかも遠州の居城があった滋賀県長浜市内で数回にわたり所在が変わっている。そして舎那院(滋賀県長浜市宮前町)の境内にあった大正8年(1919年)に札幌在住の持田謹也氏の所有となって滋賀県から札幌市内に運ばれ、その折に、水屋(中央部分)と三分庵(西側部分)を付設して、大正14年に組み立てられた。昭和11年(1936年)には北海道内で第1号の国宝に指定され、昭和25年(1950年)の法改正により国指定の重要文化財となった。
その後、八窓庵は長澤氏の所有となったが、昭和46年に長澤元清氏から本市に寄付され、現在地に移築した。さらに昭和62年(1987年)には、遠州茶道宗家 紅心 小堀宗慶宗匠(当時家元)が“遠州好み”の露地の作庭を行い、札幌市に寄付した。
北国・札幌にあって、八窓庵は積雪荷重に耐えうる強度を有していないため、冬季間は建物全体に防雪用上屋を設置し、保存に務めていた。しかし、平成17年3月、防雪用上屋の梁強度不足による倒壊事故が発生し、これに伴って八窓庵・水屋が全壊、三分庵は半壊した。
本市は、文化庁の指導助言を得て、八窓庵の文化的価値を損なわないようにするため部材の再用を第一とした復旧を行うこととし、詳細調査ののち、平成19年8月から現地において補修と組立に着手。併せて建物周囲の露地の補修を行い、平成20年9月にすべての工事を終了し、往時の姿を取り戻した。
札幌市」
この積雪による倒壊事故は、私も記憶しています。歴史的建造物を保存するということは、お金だけではない日本人の心を残すということなんだと思います。
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