(あしあと その42・中央区の40・護国神社の21)
彰徳苑内にある最後の碑。16基目は、「沖縄戦戦没者慰霊碑」です。この碑は、平成23年6月23日北海道沖縄会によって建立されました。
台座の後ろ側には碑文があり、それには
「太平洋戦争末期の沖縄戦は史上稀に見る激戦となりました。昭和二十三年三月二十六日の慶良間列島に次いで、四月一日に沖縄本島に上陸した五十四万の米軍と十一万の日本軍との間で、住民を巻き込んだ熾烈な戦いが繰り広げられました。六月二十三日に日本軍の司令官が自決し、組織的戦闘は終わりましたが、最後の日本軍守備隊が降伏文書に調印した九月七日まで、抗戦が続きました。
沖縄戦の全戦没者は二十四万人、日本人戦没者は二十二万六千人とされています。沖縄住民を除く日本人戦没者七万七千人のうち、都道府県別では、北海道出身将兵が一万八百人と最も多かったのです。
昭和四十年九月に北海道沖縄会が、世界の恒久平和実現の願いを込め、北海道出身の戦没者を祀るために、沖縄戦英霊記念の碑を札幌藻岩山麓の市有地に建立しました。
以来半世紀近くが経ち、札幌護国神社の彰徳苑に移転・新築することになりました。
新たな慰霊碑の基壇には、元の碑に埋め込んであった沖縄の小石を移し、五十四枚の御影石に、沖縄戦戦没者の名前を出身地ごとに刻銘いたしました。
平成二十三年六月二十三日 建立 北海道沖縄会」
と刻まれています。
私が訪れた日も遺族の方と思われる高齢者の方が来られ、碑石に刻まれた名前を指でなぞりながら探していました。「沖縄住民を除く日本人戦没者七万七千人のうち、都道府県別では、北海道出身将兵が一万八百人と最も多かった」と碑文にあるように、日本人戦没者のうち約14%の将兵が、遠く北海道から沖縄に向かったまま、過酷な戦闘の末沖縄の土と化しました。すでに負け戦であることが濃厚であったにもかかわらず徹底抗戦を選択した本土陸上戦は、日本の近代戦史上最大の激戦となり、沖縄の住民を巻き込んだ最悪の結果を迎えました。
都会の喧騒の一角でここだけ空気の流れが止まっているようで、まるで異空間にいるような錯覚を覚えました。遠くでセミの声だけが静かに響き渡る中で、戦没者の御霊とともに過ごす非現実的な時間。決して広くはない境内に並ぶ16基の慰霊・記念碑の数々を見て回るうちに、決して忘れてはいけないものがここにはあると実感しました。
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