(あしあと その32・中央区の30・護国神社の11)
彰徳苑の10基目の碑は、「屯田兵招魂之碑」です。
碑の背面には文字が刻まれていますが、台座の高さと碑の大きさから、下から見上げてみると判然と読み取ることができません。
この碑の前方には、石灯ろうが二基設置されていますが、いずれの碑も台座の正面側には「山鼻兵村」と、背面には「明治廿五年八月一日」とそれぞれ刻まれています。
「屯田兵招魂之碑」は、札幌に現存する石碑の中で最も古いものとされ、明治12年2月に現在の北区北6条西7丁目にある偕楽園に建碑されました。当時は西南戦争に従軍して戦死した屯田兵の門松経文准陸軍大尉以下37人(27人とも)の霊を慰めるために建立されましたが、明治44年に日露戦争に従軍した札幌連隊軍人の戦死者を合祀して当時の中島遊園地に移設され、その後昭和7年に現在の護国神社の前身である招魂社の社殿が完成した後、翌昭和8年に現在の場所に移設されました。碑銘は、征討総督を務めた有栖川宮熾仁親王の揮毫によるものと言われています。
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