「アッツ島玉砕雄魂之碑」と副碑。

(あしあと その30・中央区の28・護国神社の9)

彰徳苑の8つ目にある碑は「アッツ島玉砕雄魂之碑」です。中央部分に6段の石段が設けられた、幅約7メートル、23トンもの日高角閃岩の台座の上に、高さ約6.5メートル、重さ32トンの神居古潭石でできた石碑が堂々と鎮座するとても勇壮なものです。

石碑の裏面には金属板がはめ込まれていて、それには

「碑文

大東亜戦争も苛烈の度を加えつつあった昭和十七年六月 日本軍は アリューシャン列島 アッツ キスカ両島を占領し 北方よりする米軍の反攻に備えしが 翌十八年五月 米軍は突如戦艦空母を含む大艦隊の掩護のもと 我に十数倍する兵力と想像に絶する数量とをもって アッツ島に来攻せり

山崎大佐を長とする五千六百余名のアッツ島守備隊は 劣勢なる兵力装備にかかわらず 部隊長を核心とする鉄石の団結のもと 渾然一体となり寡兵よく敵の猛攻を破砕し これに盛大の損害を与えてその心胆を寒むからしめ 大いに日本軍の真価を発揮せり かくて血斗十有八日 残存兵力僅か百数十名となるに及び 五月二十九日 山崎部隊長を先頭に敵陣深く突入し 鮮血をもって孤島の残雪を彩り全員玉砕せり 嗚呼

鬼神をも哭かしむるその烈々たる愛国の至情こそは 千載に語りつがるべき武人の華なり 勇士国難に殉じてより茲に星霜二十有五年 かつての同僚相図りその偉業を後世に伝え 国家の繁栄と世界の平和に貢献すべく ゆかり深き札幌の地に碑を建て 永く英霊を祀りてその鎮座を祈念するものなり

昭和四十三年七月二十九日 アッツ島玉砕雄渾の碑建立期成会一同識 札幌南二西六 石黒刻」

と記されています。

台座の前には、向かって右側に碑文が刻まれた副碑が置かれています。それには、

「碑の由来

短きを何かなげかむ 君のため 御国のために 捨つる命は(玉砕兵士の遺作)

大東亜戦争も苛烈の度を加えつつあった昭和十七年六月、日本軍はアリユーシャン列島アッツ・キスカ両島を占領し、北方よりの米軍反攻に備えていたが、翌十八年五月十二日未明突如米軍は、陸、海、空より二萬余の大軍を以てアッツ島を攻撃し上陸してきました。

山崎保代大佐を長とする二千六百余名の守備隊は寡兵よく敵の猛攻を破砕して大いに日本軍の真価を発揮しました。

血闘すること十有八日残存兵力僅か百数十名となるに及び、五月二十九日山崎部隊長を先頭に敵陣深く突入し、鮮血孤島の残雪を彩り日本で初めて守備隊全員が玉砕したのであります。

嗚呼!!悠久の大義を絶叫し、鬼神をも哭かしむるその烈々たる愛国の至情こそは、千載に語りつがれるべき武人の華であります。

又アッツの雄魂がキスカの戦友撤収するに際し、その行動を守護する数々の神秘を具現し、奇跡の撤収を成功させたのであります。

かつての同僚相図りアリユーシャン方面作戦に於て懺悔せる戦友の偉業を後世に伝え、国家の繁栄と世界平和に貢献すべく、ゆかりの地に碑を建て永く英霊を祀りその鎮座を祈念するものであります。

アッツ島玉砕雄魂之碑 顕彰会一同識

付記

一、建立 昭和四十三年七月二十九日

二、慰霊祭 毎年五月下旬に行われています。

三、石材の種類

碑石 神居古潭石 三二屯 台石 日高角閃岩 二三屯」

と、また石板の裏には「謹書 洲崎正巳」とそれぞれ刻まれています。

また、石碑の台座の左前部には人頭大の石が祀られており、その台座には

「アッツ島の石

贈主 ジェームズD・ブッシュ氏(米国退役大佐)

協力者 ベンジャミンB・タリー氏(米国退役準将)

アッツ島の戦斗に参加したブッシュ氏が、昭和四四年札幌護国神社に参拝した縁で、其後同島を再訪し採集した石を、当時を偲び平和を願う日米両国民にとって、深い意味を持つ記念の品としてタリー氏の協力と日本航空(株)の好意により昭和六十三年五月送られて来たものである。

平成元年五月吉日 アッツ島玉砕雄魂之碑顕彰会 洲崎正巳書」

という説明が刻まれた石板がはめ込まれています。

当時の守備隊司令官を務めた山崎保代は、右手に軍刀、左手に日の丸の布を手にして常に部隊の先頭に立ち、米軍への反攻の指揮を執りました。2万を超える米軍の猛攻撃を受けて、当初2,650名いたアッツ島守備隊はわずか百数十名まで激減し、最後は米軍の降伏勧告を拒否して山崎司令官を先頭に白兵戦を行い、部隊全員が玉砕しました。降伏を潔しとせず玉砕を選択した兵士たちのことを、今の平和な日本に生きる私たちがどう感じるか。碑文の頭に掲げられた玉砕兵士の辞世の句は、兵士の天皇に対する畏敬の念が込められていますが、それは天皇に向けたというよりも、自分の両親兄弟姉妹、妻、子供などの家族や恋人、友人、恩師などに対する自らの決死の覚悟を歌ったものだと思います。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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