(あしあと その28・中央区の26・護国神社の7)
彰徳苑の6つ目にある碑は、「頌徳(しょうとく)碑」です。「頌徳碑」とは、功績のあった人を称える目的で建てられた碑のことです。この碑は、財団法人帝国在郷軍人会創立者である正五位勲三等功四級松本騰四郎の功績を称えて建てられたものです。最初は大正14年に旭ヶ丘に建立され、その後昭和35年に現在地に移設されました。在郷軍人とは今でいう予備自衛官などのことを言い、平時は一般生活を営んでいますが、有事の際や訓練時に召集される軍人のことを言います。財団法人帝国在郷軍人会は、明治43年にそれまで各地にあった陸軍在郷軍人会を統一して設立されたもので、のちに拡大して海軍も吸収しました。碑銘は、元帥陸軍大将子爵川村景明の揮毫によるものです。
碑の台座には白御影石の石版がはめ込まれています。それには残念ながら短文ながらも旧漢字が多用された漢文であったため判然としない部分がありますが、
「正五位勲三等功四級松本騰四郎君資性誠愨重厚夙任陸軍累進一等主計正退役後見擧帝國在郷軍人會札幌區分會長淬勵多年誘掖會員造威鉅萬基本金加之盡世務進公益効積亦文尠可謂垂範當世流芳後〇者矣今茲會員胥謀欲彰厥徳徴予文乃草之勒貞石云
大正十四年九月中浣 北海道帝國大學總長 正三位勲一等佐藤昌介撰」
と刻まれています。
碑文を記した佐藤昌介氏は、北海道大学の初代総長を務めた方です。この碑文の意味するところは私にはほとんど理解できませんが、松本氏の功績を称える内容であろうことは辛うじてわかります。
この碑は、当初旭ヶ丘の地に建てられていたものですが、なぜ旭ヶ丘なのかというと、元々この地域一帯は、大正8年に在郷軍人会札幌区分会に払い下げられた土地であり、その時期まで歩兵第25連隊が管理する火薬庫があった場所になります。この当時の分会長を松本騰四郎が務めており、その功績を讃えてこの碑が建てられました。旭ヶ丘は、大正13年から在郷軍人会札幌区分会が中心となって宅地化の計画が進められましたが、この周辺には分会に縁の深い碑が幾つか建てられています。
この碑の台座の右側面には、石板がはめ込まれていて、それには、
「頌徳之詞
戦敗社稷存亡将危 宸慮悲深英霊哭地 憂国之志士仰天嘆 郷軍之老友起作集
肖社名稱呼彰徳會 朝弔英霊夕慰遺族 滅私事奉公無寧日 重星霜茲經廿餘歳
僚友漸老物故加數 時聴訃音哀悼更切 惟謂卿等亦殉天職 歸合祀慰霊偲遺徳
昭和四十二年九月 財団法人札幌彰徳会理事 (氏名略)」
と刻まれています。
また、台座の背面には、「大正十四年十月竣功 帝國在郷軍人會 札幌市分會建之 札幌市 加藤友次郎 作」と刻まれています。
さらに、台座の左側面には、「祭祀名」として114名の御霊が記されています。
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