「札幌開祖吉田茂八碑」。

(あしあと その4・中央区の3・創成川以東の1)

志村鐡一の顕彰碑が建っている場所から、豊平川を挟んでちょうど反対側の国道沿いに小さな公園があります。

この公園の敷地内に建てられている碑が、もう1人の「札幌開祖」と呼ばれる渡し守、吉田茂八の功績を讃えて建てられた「札幌開祖吉田茂八碑」です。碑面には、大きく「札幌開祖吉田茂八碑」と刻まれたその左脇に、「札幌市長板垣武四書」と小さく刻まれています。

碑の背面にはその由来が刻まれており、それには、

「吉田茂八は南部に生まれ安政二年亀谷丑太郎に従い渡道し 同四年石狩調役荒井金助の命により 豊平川右岸の渡守志村鉄一の話相手として左岸の渡守となり札幌開拓に寄与した先住者である 質性温厚にして豪胆 狩猟を得意とし後年創成川の南二条より南六条に至る間の掘割工事を請負う これを吉田掘とも言う 地域住民吉田翁の功績を讃え後世に伝えるべく この碑を建立する

昭和五十六年七月二十一日 吉田茂八碑顕彰保存会」

と記されています。

猟師をしていた吉田は、豊平川の右岸に暮らす渡し守の志村と意気投合するようになり、やがて今の国道36号の前身となる道路の開削が始まると、幕府の命を受けて左岸の渡し守に任じます。当時は広大な流域を持つ豊平川の渡河方法は渡船だけであり、人員物資の輸送に渡し守の仕事がとても重要な役割を担うことになります。しかしながら、道路の建設とともに 豊平川に橋が架けられたことによって、渡船は交通の主役の座から下ろされ、渡し守の役目は幕を下ろします。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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