(あしあと その2・中央区の2・豊水の1)
南7条西1丁目にある札幌第一ホテルの入り口近くに置かれているのが、「会津藩白虎隊士飯沼貞吉ゆかりの地」碑です。この碑は、戊辰戦争の犠牲となった会津少年兵白虎隊の悲劇の唯一の生存者である飯沼貞吉の住居跡に建てられています。
碑面には、「會津藩白虎隊士 飯沼貞吉ゆかりの地 會津松平家十三代松平保定書」と刻まれています。
碑の背面には
「飯沼貞吉(後の貞雄)は安政元年会津藩士の家に生る。慶応4年(1868年)戊辰戦争の際、白虎隊士として出陣するも飯盛山で同士と共に自刃 唯一蘇生。白虎隊のすべてを後世に伝え、歴史の貴重な証言者となる。
明治5年逓信省に入り不撓不屈の努力と卓越なる技術をもって、わが国電気通信事業の先駆者として同38年(1905年)より5年間札幌に勤務 この地に在住す。謹厳寡黙 北海道産業の振興に貢献 大正2年まで実に40余年逓信技術者としての足跡偉大なり。昭和6年仙台にて歿 享年78歳。
平成元年8月 撰文 日本電信電話株式会社 北海道支社
建立 飯沼貞吉ゆかりの地碑建立世話人会」
と刻まれています。
飯沼は維新後電信技師となって官庁に勤め、明治38年から5年間、当時の札幌郵便局で仕事に就いていて、その当時の住まいがここにあったそうです。
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