「村橋久成胸像「残響」」。

(あしあと その633・中央区の209・桑園の5)

知事公館がある敷地に正門から入ると、通路のすぐ左手に、白御影石でできた台座に載った胸像とその説明板が立てられています。これは、「残響」と名付けられた「村橋久成胸像」です。

台座の正面上部に、「残響」と刻まれた黒御影石がはめ込まれ、その下に「村橋久成胸像」と添えられています。

台座の背面には、

「胸像制作 中村晋也 題字揮毫 中野北溟 村橋久成胸像「残響」札幌建立期成会 2005年9月23日」

と刻まれています。

胸像の脇に立てられた説明板には、

「村橋久成胸像「残響」

村橋久成(1842~1892)は鹿児島県(薩摩藩)の人。幕末にロンドン大学に留学し、戊辰の駅の箱館戦争では政府軍の軍監として活躍した。のち、開拓使に出仕して勧業事業を担当し、麦酒醸造所(サッポロビールの前身)をはじめ、琴似屯田兵村・七飯勧業試験場・葡萄酒醸造所・製糸所・鶏卵孵化場・仮博物場・牧羊場などを創設し、北海道産業の礎となる。1882年に職を辞して行脚放浪の身となり神戸市外で没した。その業績は1982年刊行の田中和夫著「残響」で知られるところとなり、翌年には中村晋也日本芸術院会員が胸像「残響」を制作。2004年2月に期成会が発足し、多くの方の賛同を得てこの像の建立をみた。

2005年9月 村橋久成胸像「残響」札幌建立期成会 会長(略)」

と記されています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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