「荒井山スキー場跡・宮様スキー大会発祥の地」碑と副碑。

(あしあと その532・中央区の178・宮の森の1)

円山公園を横断する裏参道を宮の森方向に進み、円山動物園を通過して更に上り坂を登っていくと、右手に大倉山小学校が見えてきます。校地の奥には荒井山緑地が広がり、その入り口付近に白御影石でできた石碑が建てられているのがわかります。

この碑は、「荒井山スキー場跡・宮様スキー大会発祥の地」碑です。碑の頂にはジャンプ台のレリーフが施され、碑面の上部に「荒井山スキー場跡」、下部に「宮様スキー大会発祥の地」とそれぞれ刻まれ、その間に挟まれた中央には、かつてのスキーヤーたちでにぎわった当時の荒井山の白黒写真がはめ込まれています。

碑の背面には、黒御影石の石板がはめ込まれており、そこには「平成十七年十月建立 荒井山スキー場記念碑協賛期成会 会長 達田春吉」と刻まれています。

石碑に向かって左側には、黒御影石でできた副碑が置かれ、碑面には、

「荒井山市民スキー場の記録

昭和三年(1928) 秩父宮殿下 三角山スキー場で北大スキー部の大会をご覧になる

昭和四年(1929) 高松宮殿下 荒井山でノルウェイ選手の演技をご覧になる

昭和四年(1929) ノルウェイ ヘルセット氏の指導 広田戸七郎氏設計・木造40m級シャンツェを建設 荒井山記念シャンツェと命名

昭和五年(1930) 第一回 宮様スキー大会が荒井山会場で開催される

昭和六年(1931) 第二回 宮様スキー大会以降は各種スキー大会の会場となり、札幌市民スキー場として昭和五十年代まで大変賑う

昭和二十七年(1952) スキーリフトの設置 道内第一号を大竹氏により設置される

昭和三十五年(1960) 夜間照明設備完成 三菱電機協賛により寄附される

昭和四十七年(1972) 土地は札幌市によって買収される

平成十二年(2000) スキーリフトの休止となる

平成十五年(2003) 荒井山シャンツェ三度目の大改修 K点55m K点22mスモールヒル 日本のサマーヒル完成

荒井山の地名 荒井山の土地所有者 荒井保吉氏による

宮の森の地名 秩父宮、高松宮両殿下の来道を記念して昭和十八年制定」

と刻まれています。

荒井山周辺には、小さいながらも多くのスキー場が整備され、市民に親しまれてきました。荒井山のシャンツェは、スキー場が閉鎖された現在も小中学生に利用されています。副碑に、スキーリフトが道内第1号として荒井山に整備されたことが記されていますが、これより前に藻岩山にスキーリフトが設置されているものの、これは進駐軍によってアメリカ人向けに整備されたものであり、純粋に市民の利用を目的に設置されたリフトとしては道内第1号となります。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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