(あしあと その463・中央区の156・創成川の7)
創成川に架かる南1条通の橋が、今も昔の姿で見せてくれる「創成橋」です。
擬宝珠のついた橋柱が目を引く欄干と、札幌軟石で積みあげられた石橋の偉容は、歴史と共に重厚さを感じさせてくれます。その橋柱には「明治四十三年十月架換」と刻まれています。
創成橋の東岸側に、ブロンズ板でできた説明板が置かれていて、そこには
「創成橋の復元
ここに架かる創成橋は、
「技術を守る」
「形を守る」
「材料を守る」
「その場所を守る」
これらのことを基本的な考えとして、建設当時の姿を復元したものである。
創成橋は、明治四十三年に架橋され、札幌市内に現存する最も古い橋梁であった。特筆すべきは、石造アーチ橋でありながら石材の目地間や橋台部からアーチ石上部にかけてコンクリートが充填されているという希少な構造形式であり、石造アーチ橋から鉄筋コンクリートアーチ橋へと進化していく技術史の中で、その橋渡し的役割を担ったであろうと思われる。以後、百年間にわたり札幌市の中心部で人々の東西の往来を支え続けてきた。
平成十八年、創成トンネルの建設により解体を余儀なくされたが、その歴史的価値に鑑み、往時の姿で復元されることとなった。復元工事にあたっては、解体の過程や文献調査によって明らかになった先人たちの技術を、現代の技術者たちの手によって再現し、可能な限り建設当時の施工方法となるように努めた。アーチという構造上、僅かな誤差も許されない精密な施工が必要とされたが、関係者の尽力により無事しゅん工することができた。
この工事に係わった全ての技術者に敬意を表し、併せて、復元した創成橋が再び札幌のまちづくりの基となり、その歴史と技術を後世に継承されることを祈念する。
平成二十三年三月 札幌市」
と記されています。
創成橋は、開拓当初に札幌市の区画の基点となった場所です。その当時は木橋でしたが、明治43年に石造のアーチ橋として架け替えられ、その後、北海道神宮頓宮の表参道としての役割を担うために欄干に擬宝珠がつけられました。
創成川に沿って都心部を南北に走る創成川通のアンダーパス連続化のため、一時的に解体されましたが、現在は架橋当時の姿で復元され、橋の周辺にもいくつかの記念碑などが配置されるなど、市民の目を楽しませてくれています。
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