「定鉄「簾舞川鉄橋」モニュメント」。

(あしあと その268・南区の85・簾舞の5)

簾舞の住宅地にたたずむ大きな古民家。開拓時代の初期に、本願寺道路を通行する人でにぎわった「旧黒岩家住宅(旧簾舞通行屋)」が、当時のままの姿で保存されています。この建物の北側を東西に走る市道沿いに、レンガが積まれたモニュメントが建てられています。それが、「定鉄「簾舞川鉄橋」モニュメント」です。

市道から少し奥まったところに盛り土がされ、その上に積まれたレンガの土台の上には、短く切断されたレールが載せられています。

モニュメントの前には説明板があり、それには、

「定鉄「簾舞川鉄橋」モニュメント

定山渓鉄道(大正7~昭和44)は、札幌とその奥座敷・定山渓温泉の区間30kmを沿線住民の通勤・通学や観光の輸送、また鉱石・木材の運搬に活躍しました。

豊平川沿いに走り、中間点の谷あいで段丘上の簾舞には、東簾舞停留所(昭26)と簾舞駅(大7)がありました。

この両駅の間に簾舞川があって鉄橋が架けられていました。電車等の通過時に〝ガタゴト音”や〝警笛”が、旧道に市街地を形成していた簾舞地区住民の時計や時刻表の代わりでもありました。また、水害や雪害で鉄橋が不通の時は保線区員が原動力となり、時には住民も力を合わせ復旧に努めました。

平成21年に国道のバイパスとして市道が開通し、線路跡や鉄橋の橋脚が無くなりましたが、「レンガ積橋脚の一部」を記念碑として重要保存することにしました。

平成24年9月 旧簾舞通行屋保存会」

と記され、「鉄橋を通過する電車と貨車(昭32)」、「「黒岩宅裏踏切り」のようす(昭44)」の2枚の写真が添えられています。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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