(あしあと その250・南区の74・藤野の9)
国道230号沿いの「庚申塚建立跡地」の標柱から、国道を挟んだちょうど反対側にもう1つ標柱が建てられています。じょうてつバスの「藤野3条8丁目」のバス停そばの民家の車庫前にあるその標柱は、「火の見櫓・野々沢倶楽部跡地」であったことを示しています。
木柱の国道に面した側には、「火の見櫓・野々沢倶楽部跡地」、西側の面には「藤野開基百二十年記念事業実行委員会」と記されています。
そして東面には、
「倶楽部は昭和十一年に集会・娯楽・研修施設等文化交流の場として建設され昭和三十三年火災焼失した。火の見櫓は防火・空襲警鐘施設として活用した。」
と記されています。
木柱の背面は車庫に近接しているため見ることはできませんが、おそらく他の木柱と同様に、「平成十六年五月建立」と記されているものと思われます。野々沢は藤野地区の旧地名の一つで、藤野という名称は、昭和19年の字名の改正で「藤の沢」と「野々沢」の頭の一ずつを合わせて名付けられました。野々沢は、明治16年に開拓が始まった藤野地区の中でも古い地域になります。
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