(あしあと その249・南区の73・藤野の8)
「庚申塚建立跡地」の標柱が建てられている国道沿いから南方向に向かうと、丘陵の斜面に住宅街が広がっています。住宅地を抜けた坂の上まで上ったところに藤野中学校があり、そこからさらに登ったところに高見台会館の建物があります。会館の前は空き地になっていますが、その手前のところに「庚申」塚が鎮座しています。
自然石でできた塚の正面には大きく「庚申」と、その両側には「大正七年」、「五月十三日」と日付が刻まれています。
台座の左右側面と正面には、14名の氏名が刻まれています。
塚の右後方には手書きの説明板が建てられており、それには
「庚申塚のいわれ
庚申塚は青面金剛を祀ったもので諸々の悪霊から人々を守る神と言われています
また別に猿田彦の神を祀った塚もあると言れています
此の庚申塚は大正七年南部地方より藤野に入植した八重樫金助ほか十三名の方々により建立されたものです入植当時は医療施設など無いので病気や災害からのがれたいとの願いから建立されたものと考えられます。
当初この庚申塚は現在の藤野自治会館前の国道添えに建立されたが時代の変遷にともない昭和五十六年に現在地に三度目の移転をしたものです
昭和五十八年藤野開基百年を迎えるに当り開拓時代の先人の労苦を偲び昭和五十四年より藤野庚申塚保存会により秋の庚申の日(かのえさる)に年に一回お祭りを行い開拓の先人が残した文化資遺産として大切に保存時て行くことになっております
平成七年九月二十八日 表示板風化につき取替 藤野庚申塚保存会」
と記されています。
この説明板に記された「八重樫金助ほか十三名の方々」というのが、この台座に刻まれた14名を指すものと思われます。また、氏名の一部に「板割沢」と「丸十五」という文字が添えられていますが、これは藤野の一部地域の旧名として呼称された「板割沢」と「丸重吾の沢」のことを指すものと思われます。
0コメント