「エドウィン・ダン像」と副碑。

(あしあと その181・南区の52・真駒内の11)

真駒内から柏丘に分岐する三叉路のほとりに、エドウィン・ダン記念公園があります。この公園内には、その名が示すとおり、北海道酪農の父と称されるお雇い外国人のエドウィン・ダンに関する記念館と像が建てられています。

「エドウィン・ダン像」は、彫刻家である峯孝が昭和39年に制作したものです。右手にフォーク、左手に子羊を担いだ体躯堂々たる外国人の姿は、北海道の未来に向かって歩みゆく明るい希望を表していると言えます。

像の前には副碑が建てられていて、それには、

「エドウィン・ダン氏は、明治六年開拓使が米國に求めた家畜を輸送して来日してから引きつヾきその嘱を受けて北海道農業指導の任にあたり、ことに明治八年以来北海道にあって、七重牧場、真駒内種牛場、新冠種馬場、札幌牧羊場などを開設してその経営にあたり、家畜の飼育、牧草、甜菜、亜麻などの栽培、土地の改良、畜力農具の使用、畜産物の加工などあらゆる新技術を実地に伝えた。

北海道は実にその基礎の上に榮えたのである。

明治十五年任期満了後も日本に止り、昭和六年八十四才で長逝されるまで我國の外交、産業、文化の発展のために全生涯を捧げられた。その恩澤は永遠に忘るべからざるものである。

今その偉大なる功績を永遠に伝えんがために、この像を建立する。

昭和三十九年十月 エドウィン・ダン顕彰会」

と記されています。

この記念公園内を南北に流れる小川は、市道を挟んで公園の西側を流れる真駒内川から取水され、公園の中央部で池を形作ってから北方向に流れていきます。この流れは真駒内用水と呼ばれていますが、真駒内牧牛場(後の真駒内種畜場)の家畜用飲料水や農機具の洗浄用、水車の動力用などの水を確保するために、エドウィン・ダンの提案で作られたものです。かつては澄川から平岸、白石一帯に広がる稲作地帯の用水網に、間接的に水を供給する役目を果たしていましたが、都市化とともに用水としての役目を終え、現在では真駒内の市街を流れる一部にその面影を認めることができます。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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