「温泉開祖髙山今朝吉翁碑」。

(あしあと その752・南区の162・定山渓の19)

定山渓を通過する国道230号は、渋滞緩和のため将来的に温泉街を抜けた定山渓小学校付近まで片側2車線になる計画です。定山渓の市街地の入り口にあたる白糸トンネルを抜けて、すぐ右手の一段低くなった部分は、現在は国道拡幅工事に伴って広く整地されていますが、以前はかつての定山渓鉄道の線路の跡だった生活道路に沿って古い住宅が立ち並んでいました。

'18年に「定山渓鉄道」を上梓した久保氏から、「これまで衆目にさらされることのなかった石碑が、今見る事が出来るの知ってますか?」と教えてもらい、連れて行ってもらったところ、住宅がほとんど撤去された空き地の一角の木蔭に二基の石碑が残されているのを見つけました。

コンクリート製の台座の上に並んで置かれている二基の石碑は、整地される前まで個人宅の敷地内にあって、奥側は鬱蒼とした木が茂る豊平川への断崖であり、道路側からは家屋の陰になってその存在を確認することができませんでした。

その向かって左側にある石碑が「温泉開祖髙山今朝吉翁碑」であり、碑面に大きく「温泉開祖髙山今朝吉翁碑」と刻まれています。

碑の背面には、

「我高山温泉明治十九年所翁之發見経營翁逝巳三十七年今當真壱(?)辰追憶記念往時開拓之功勞建此碑云

大正十五年七月二十一日 髙山トメノ謹誌」

と刻まれています。

美泉定山亡き後、佐藤伊勢造が引き継いだ温泉の経営は決して思わしいものではありませんでしたが、その後湯治客が増加するようになり、明治19年には高山今朝吉が源泉を発見して高山温泉を開き、続いて鹿の湯が開業しました。高山温泉は、佐藤の元の湯に次いで、中の湯と称されました。定山渓大橋から豊平川の上流を見下ろすと、川に赤い吊り橋が架かっているのが見えますが、この人道橋の高山橋を渡った先に、かつての高山温泉である日本通運の保養所として使われていた渓光荘の廃屋が残されています。

現在国道の拡幅工事が行われていて、この碑がいつまでこの地に残されているかはわかりませんが、共用されている現国道の車線上からこの碑を見ることができます。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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