「定山坊遺物奉安所」と石仏群。

(あしあと その750・南区の160・定山渓の17)

定山渓にある定山寺は、明治時代初期に美泉定山によって開基された古刹です。定山渓の名前の由来となった定山坊の遺物が、定山寺の本堂に併設して建てられた遺物奉安所に安置されています。遺物奉安所の入り口上部には、「宝物殿」と揮毫された額が掲げられています。

入り口に向かって左手の壁面には説明板が掲げられており、そこには

「名所案内

美泉定山坊は岡山県出身にして安政三年渡道し明治元年アイヌの人達の案内により此地に来り温泉湧出するを発見す

明治四年七月開拓使長官より湯守を命ぜられ此地を定山渓と命名し現在の月見橋附近にささやかな浴場を設け浴客の便を図り名称定山渓開拓の礎石をつくれり

開祖定山坊は身丈六尺有余の偉丈夫にして性温和一面豪胆而かも書を能くし彫刻に巧みなりしと謂ふ

右の遺物は当定山寺宝物殿に保管しあり

定山坊遺物

一、美泉定山和尚木像

一、守本尊弘法大師尊像(自作)

一、大田山大権現不動尊版木(自作)

一、獅子頭

一、鳶色の法衣、安陀衣(定山坊着用)

一、定山坊真筆の書翰

定山坊奉賛会 遺物奉安所定山寺」

と記されています。

奉安所内に足を踏み入れると、正面にガラス張りの展示場が設けられており、その中に美泉定山に縁の品々が展示されています。観覧中に本殿奥からお坊さんが現れたので、定山渓にまつわるお話をお伺いしようと声をかけたところ、定山寺には住職が不在のため、中央区にある中央寺から交代で派遣されてきているということでした。

定山寺の境内には、美泉定山に関する石碑が建てられているほか、小さな馬頭観音や不動明王をはじめとする石仏が多数置かれていました。

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「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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