(あしあと その748・南区の158・定山渓の15)
定山渓温泉の老舗である定山渓ホテル前の駐車場の一角に、巨大な像が建てられています。
右手に杖、左手には獅子頭を持つ人この像は、「美泉(みいずみ)定山」像です。像に向かって左手に置かれた石像は、定山作と伝えられる薬師如来の石仏です。
像の傍らには白御影石でできた副碑が置かれており、そこには
「修験者・定山の業績
修験者・美泉定山は定山渓温泉開発の祖である。
定山は岡山県の生まれ。慶応二年頃、豊平川上流に温泉が湧出していくのを聞き、小樽の張碓からアイヌの若者を先導に山越えして、この地に至った。
定山はこの近くを「一の湯元」と定め、「二の湯元」「三の湯元」(現在の定山渓ホテルの浴場)をひらき、背後に宿泊所を建てて、病む人々を泊め、祈祷と湯治による治療に尽くした。
明治四年七月、開拓使より湯守をおおせつけられ、一心に衆生を救おうと努めたが、明治七年七月、湯守を辞めてからは窮乏の一途をたどり、温泉経営を妻キンや雇人佐藤伊勢造らにまかせ、獅子頭を抱えて札幌、石狩、小樽などを托鉢して回った。
定山が巡錫先の小樽で亡くなったのは明治十年十一月四日。遺体は小樽・正法時に葬られたたものの、その死は定山渓へ伝わらず、長い間、山中へ入り行方不明と流布されてきた。
定山逝きて百十年、定山渓温泉繁栄の礎を築いた偉業を讃えて、ここに像を建立する。」
と刻まれています。
この像は、副碑あるように定山の没後110年に当たる昭和61年に、定山渓ホテルによって建立されたものです。定山没後の明治13年、佐藤伊勢造が定山の妻キンから譲受した温泉場を「元の湯」として開業し、その後大正7年に元湯ホテルとしたのが、定山渓ホテルの前身になります。
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