「発寒稲積開拓記念碑」。

(あしあと その698・手稲の24・新発寒の1)

下手稲通と追分通の交差点の角に、下手稲通に面して石碑が3基並んでいる一角があります。

その一つが、「発寒稲積開拓記念碑」です。白御影石が積まれた台座の上に、黒御影石でできた碑が置かれており、碑面には「発寒稲積開拓記念碑」と大きく刻まれています。

碑の背面には、

「大正三年先人北渚(ほくちょ)より来たりてこの地を故園(こえん)と定む汒汒(ぼうぼう)たる原野泥炭土にして地味瘠薄(せきはく)なり昭和九年乳牛を誘い全戸酪農を営む幾多の風雪に堪え艱難(かんなん)共にしこの地を豊穣の地となすここに先達(せんだち)の辛楚(しんそ)をを偲びこの碑を建立する

昭和九年自作農 昭和十九年第二開拓入植 期成会 会長 副会長 (氏名)」

と刻まれています。

台座上部の背面には、「昭和61年9月吉日 建之」と施工会社名が刻まれています。

手稲区のHPによると、碑に隣接する「馬頭大神」碑の台座を補修をした際に、この碑が建てられたそうです。

「歴史のあしあと 札幌の碑」(西部版)

「歴史のあしあと 札幌の碑」 ふとしたことで、札幌とその近郊に残された石碑や記念碑が気になり始めました。 歴史が刻まれてきた碑の数々を、後世に引き継いでいけたらと思います。

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