(あしあと その680・手稲の6・手稲本町の1)
手稲本町にある手稲コミュニティセンターから少し東側に離れた空き地に、3基の石碑が集められています。
石積の台座に置かれた碑の中で一番大きなものが、「開村五十年記念」碑です。自然石でできた碑の碑面には、「開村五十年記念」と大きく刻まれ、その脇に「北海道廳長官宮尾舜治書」と添えられています。宮尾舜治氏は、新潟県出身で、第16代の北海道庁長官を勤めました。北海道庁は明治19年に置かれた地方行政官庁で、昭和22年の地方自治法の施行に伴い、地方公共団体としての北海道が発足するまで、北海道を管轄していました。
碑は三角柱の形状をしており、その背面の一面には、「大正十年九月三日建之」と刻まれており、もう一面には「手稲村」と大きく刻まれています。手稲村は、明治5年に発寒村から分離して開村しましたが、その区域は、現在の手稲区と発寒や琴似などの東部を除いた西区の大部分を管轄していました。
碑の手前には説明板が立てられており、そこには
「手稲「開村五十年記念」碑〈建立年 大正10年(1921年)9月3日〉
この碑は開村八十年記念碑と共に、昔手稲町役場であった旧手稲出張所の前に建てられていました。現在の場所に移されたのは、旧手稲出張所の建物が取り壊され、手稲コミュニティセンター建て替えられた時です。
この碑が建てられたころは開拓もひと段落し、当時の新聞には、札幌に近い農村として将来栄えていくだろう、と語られていました。」
と記されています。
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